オーストリアと日本を結ぶ3兄弟の、ちょっといい話
オーストリア・ザルツブルクの音楽一家に育ち(父はヴァイオリニスト、母はピアニスト)、それぞれ異なる音楽の道を歩んできたヘーデンボルク3兄弟。長男ヴィルフリート・和樹さん(ヴァイオリン)と次男ベルンハルト・直樹さん(チェロ)は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとしてサントリーホールでも長年お馴染みですが、三男ユリアン・洋さんとのピアノ・トリオで日本デビューしたのは、2017年のチェンバーミュージック・ガーデンでした。ヘーデンボルク・トリオとして、母の故郷である日本のステージで演奏することには、特別な思いがあると言います。
新型コロナウイルス感染症に係る入国制限措置につき、ヘーデンボルク・トリオの公演は、6月20日(日)・6月21日(月)に行うことが不可能となり、6月26日(土)・6月27日(日)に延期となります。
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和樹 僕たちは同じ家族に生まれ、音楽を学んだけれども、歩んだ道はそれぞれ全然違います。学んだ場所も、音楽家としての生き方も、暮らしてきた場所も。ウィーンに最初に来たのは末っ子の洋(12歳でウィーン国立音楽大学に入学)。直樹はベルリンに暮らしたこともあったし、音楽があるところが家というような過ごし方をした後、ウィーンにやって来た。僕はザルツブルク(モーツァルテウム国立音楽大学)で勉強した後、ウェルナー・ヒンク先生に学ぶためウィーン市立音楽大学へ、そして卒業前にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団し、今年で20年目。そうやって全然違う生き方をしてきた3人が、今はみんなウィーンにいて、お互い歩いて20分圏内に暮らし、一緒に演奏している。それが、僕たちのトリオに与えているスパイスだと思います。
直樹 お互い見せかけが通じないから、本音で接することしかできないのが兄弟での演奏の特別なところ。選んだ楽器も、それぞれのキャラクターに合っていると思います。僕は、兄と張り合いたくない気持ちもあって、5歳でチェロを選びました。
――直樹さんは、はじめはソリストとして、また室内楽奏者としての活動も幅広くされていますね?
直樹 13歳から大学(ザルツブルクのモーツァルテウム国立音楽大学)までずっとハインリッヒ・シフ先生に師事し、卒業後はヨーロッパと日本、オーストリアを行ったり来たりして気ままにやっていました。30代になって、音楽を追求するだけでなく社会の中でなにか役割を持ちたい、自分の人生を社会のために使いたいと思うようになって。自分が最も尊敬できるウィーン・フィルに入りました。自主運営の組織なので、役職について楽団のための仕事もしています。
――洋さんは、直樹さんと11歳、和樹さんとは13歳離れていて、生まれた時からお兄さんたちの演奏を耳にしていたんですね。
洋 そうです。だから、兄たちと競争せずに、ヴァイオリンとチェロの両方の役割をできるピアノという楽器を選んだのかもしれませんね。ソロの活動はやはり、どこまで行けるか自分自身を試す場で、自分をもっとよく知り、究めていく場なんです。一方室内楽は、お互い聴きあいながら支え合っている安心感があります。兄たちとの演奏は、次どういう風に弾きたいのか自然にわかるから、合わせやすいし楽しい。兄たちは人生の違うところにいて観点も違うし経験豊富、僕は若めのエネルギーを入れられて、お互い交換し合えるからいいですよね。
――洋さんは、クラシック音楽の世界から離れていた時期があるそうですね?
洋 16歳の時にいったんピアノをやめて、ヘヴィメタルやテクノポップなどのバンドでベースギターを弾いていました。音楽として共通点も結構多いと思いますが、いちばん感じた違いは、音の強弱の付け方。1音1音強弱を細かく変えて動きをつくるのがクラシック音楽の独特なところ。そしてソットヴォーチェ(sotto voce=ひそやかに)のピアニッシモのから、ひとりでオーケストラを奏ているかのようなフォルテッシモまでの幅の広さ。ポップ音楽やロックは、結構フラットで、例えて言えば、ひとつの止まったシーンを描き出す写真みたい。クラシック音楽は物語とか映画に近くて、時間の流れを感じますよね。
――そしてクラシック音楽に戻ってきた。
洋 やっぱりピアノという楽器からは離れられないと思ったんです。そしてクラシック音楽をやることで自分のピアノがもっと高められると思って。5年間のブランクは長かったですが、戻ってきて、新鮮に感じました。
――そして、ヘーデンボルク・トリオを組まれて、日本デビューされたのが2017年。
直樹 ちょうどヘーデンボルク・トリオ最初のCD『ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲作品1』をリリースして、とてもエネルギーの乗った時期で。日本人の母を持つ兄弟として日本への思い入れはとても強く、さらに、室内楽の場として「ブルーローズ(小ホール)」を初めて体験して、すごく感動しました。舞台を囲むように観客が座る臨場感、客席のひとりひとりの感情まで伝わってきて、集中力がものすごく高い時間でした。室内楽を奏でる演奏家と聴衆が近くで一緒にいられる場。この一体感は特別で、ウィーンでもこういう場はありません。
洋 僕にとっては初めての日本、初めてのサントリーホール、そして兄弟3人で初めて日本で演奏する。日本にいるおばあちゃんもかなり高齢だったのですが、僕たちの演奏を初めて聴いてくれて。ずっと日本を離れていた母も含めて、「僕たちヨーロッパでこういうことをやってきたんだよ、ありがとう、帰ってきたよ、聴いてね。」とやっと報告できた気がして。残念ながらそれが最初で最後になってしまったんですけれどね。かけがえのない場でした。絶対忘れることのない演奏です。
和樹 僕は2001年の秋にウィーン・フィルのメンバーとして日本公演に来たのが、10歳の時に来日して以来の日本だったんです。しかもサントリーホール! それからはほぼ毎年日本に来ていますが、サントリーホールに来ると、帰ってきたという気持ち。ウィーン・フィル公演の時は大ホールで演奏し、ブルーローズは打ち上げを行う場だったんです。その交流の場で、2017年にトリオで演奏をした。包み込まれる雰囲気で親密な気持ちになって、言葉での会話に加え、今度は音楽を通して感情のコミュニケーションが起きる場になったわけです。音楽というのは演奏家と聴き手の会話ですからね。
直樹 もうひとつのエピソードとしては、私が幼い頃からずっと教わっていたハインリッヒ・シフ先生、第二の父親とも言える存在が、その前年に亡くなったんです。その先生が「トリオの演奏だったら、このプログラムをお勧めするよ」と言ってくれた、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第1番と、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番を、ブルーローズでの日本デビューで演奏することができました。だからずっとシフ先生のことを考えながら弾いていました。
――2017年のブルーローズ(小ホール)ではたくさんの物語が生まれていたのですね。今年のCMGもますます楽しみになってきました。今回はどのような演奏を聴かせていただけますか?
和樹 ウィーンのトリオなので、ウィーン・クラシックの王道を。僕はそういう筋の通ったプログラム構成を考えるのが好きです。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲を全部弾いていきたいので、今年は第4番「街の歌」と第5番「幽霊」を。ブラームスも同じように、前回ピアノ三重奏曲第1番で始まったので、今年は第2番と第3番を。そうやってベートーヴェンとブラームスを繋げて、僕らトリオのレパートリーとして育てていきたいんです。
――ブラームスは日本の音楽に興味を持ち、楽譜なども集めていたそうですね。
直樹 2019年の日墺友好150周年記念展覧会では、アーカイブ(ウィーン楽友協会アルヒーフ・図書館・コレクション)から、ブラームス自身のメモがされた邦楽の楽譜や、日本の婦人がブラームスに琴を聞かせている様子を描いた屏風にも出会いました。(『ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』は、史実に基づいて1992年に描かれた屏風作品)。実は描かれている戸田極子さんは、私たちの母方の血筋、遠い親戚にあたる人なんです。明治時代、日本からウィーンに派遣された最初の公使夫人で、お琴の名人だったと。なにか縁を感じます。戸田家で生まれた私たちの母はオーストリアに音楽の勉強に来て、結婚して、私たちが生まれて、今3人ともウィーンで音楽をやっていて、在籍するウィーン・フィルのアーカイブでブラームスの手書きの楽譜に出会い、そして日本でブラームスの作品を演奏する……縁のつながりですね。
ブラームスは交響曲第1番を出版するまで20年もかけたような人。1音1音に取り組んだ彼の芸術家としての思い入れ、その世界を皆さんにも追体験してほしいです。今回プログラムに『弦楽六重奏曲第1番(キルヒナー編曲)』を入れたのですが、編曲に関しては天才的だとブラームス自身が絶賛していたキルヒナーという同時代の作曲家が、弦楽六重奏曲を3人で演奏するピアノ三重奏用に編曲した作品です。なかなか演奏される機会もない曲ですので、特別な贈り物として楽しんでいただければと思います。
ベートーヴェンについては、自由を求めていた人で、クラシック音楽という枠をいちばん広げた人ではないかと私は思うのです。その時代の世界観を極限まで広げ、どんなことが可能かを常に求めていた人。今回演奏するピアノ三重奏曲「幽霊」などでも、それが感じられるんです。凝縮された世界をどこまで広げられるか。挑戦です。
和樹・直樹・洋 日本で演奏できることをすごく楽しみにしています。皆さんに会えることを願って!