現代のモダンピアノとは趣向の異なるオンリーワンの響きが魅力のフォルテピアノ。近年CMGで積極的に紹介してきたサントリーホール所蔵のエラールをはじめ、様々な時代や国で制作された楽器が4台登場するシリーズ。出演アーティストからの聴きどころや楽器についてのメッセージを順次お届けしています。
フォルテピアノ:小川加恵 6月16日(水) フォルテピアノ・カレイドスコープ Ⅱ
皆さま、フォルテピアノ奏者の小川加恵です。この度チェンバーミュージック・ガーデン「フォルテピアノ・カレイドスコープ」に出演させて頂きますことをとても嬉しく思っております。このコンサートシリーズには様々な時代の、様々な国々で制作されたフォルテピアノが4台登場しますが、私は1835年のプラハにて、アントン・シュヴァルトリンクが制作したフォルテピアノを演奏いたします。当時オーストリア・ハプスブルク帝国の支配下にあったプラハで制作されたこの楽器は、王家の紋章を彷彿させる鷲が描かれたネームプレートと鷲型のピアノ足を持ち、白鍵は真珠層を持つ貝が張られ、黒鍵には金箔が下地に張られ、その上に鼈甲がかぶせられている見た目にも大変美しい楽器です。ピアノ制作の中心地であったウィーンの伝統が感じられる明快で華やかながら、木のぬくもりを感じられる温かい音色で会場の皆さまを包んでくれることでしょう。
共演者にはフィリップ・ヘレヴェッへ、ベルナルト・ハイティンクなど世界的指揮者との共演も数多く、現在最も注目されている若手バス・バリトン歌手の一人、クレシミル・ストラジャナッツ氏と、東京交響楽団コンサートマスターを務め、室内楽奏者としての活躍も目覚ましい水谷晃氏を迎え、シューベルト、シューマン、ルイ・シュポーアなどフォルテピアノが制作された同時代の作曲家たちによる「愛と死」をテーマにした切なく、美しい珠玉の作品の数々をお届けしたいと思います。
A. シュヴァルトリンク(1835年)
1835年にプラハで製作され、ピアノ作りの中心であったウィーンの伝統が感じられる軽やかさと柔らかな東欧の薫りも感じられる。新しい機構としてこの頃から今日のグランドピアノと同様に底板が張られないようになり、響きにいっそう拡がりが生まれた。6オクターヴ半の音域を持ち、最低音から5鍵は鉄線の上に真鍮線を巻いて質量を大きくし、より強い張力で、重厚な低音を得ようとした。鍵盤のナチュラルキーの表面には真珠層を持つ貝が張られ、シャープキーには金箔が下地に張られ、その上にべっ甲がかぶせられている。
バス・バリトン:クレシミル・ストラジャナッツ
6月16日(水) フォルテピアノ・カレイドスコープ Ⅱ
今回のコンサートでは、あえて作品が書かれた時代の楽器を用いて演奏を行うことにしました。現代では、ピアノ演奏のあるコンサートではたいてい、20世紀か21世紀に製作されたモダン・グランドピアノが使用されることが一般的です。けれども今回は、作曲家たちが作品を書いた19世紀半ば当時にできるだけ近い音を再現し、そのオリジナルの形で聴衆の皆様にお聞かせすることを目指しています。(中略)
今回のプログラムは私の仲間の音楽家の選択眼に叶い、さらに小川さんと私がお客様のことを考えて選び抜いた「最高の芸術歌曲」で構成された内容となっています。著名な作品が集まりましたので、サントリーホールにおいでになるお客様であれば、きっとその多くをご存知でしょう。しかし一方で、これまでに耳にされたことのない珠玉の名品に出会う機会にもなると思います。(つづく)
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ヴァイオリン:水谷 晃 6月16日(水) フォルテピアノ・カレイドスコープ Ⅱ
今回、この「こだわりのプログラム」の中で演奏させていただけますことをとても刺激的に、そして嬉しく思っております。ストラジャナッツさんと小川さんによるデュオは、作品が生まれた当時の楽器とスタイルによる演奏、いわゆる「歴史的演奏」という言葉にとどまらず、とても自然に耳に入ってまいります。ピッチを下げた響きは、柔らかさ、あたたかみが増し、コロナで疲れた私たちの心を癒してくれるかのようです。また、それは私が演奏いたしますシュポアやシューベルト、シューマンの作品での、人間が直面する苦悩の部分をかえって強調することとなります。
会場の皆様と、作曲家の豊かな精神世界を分かち合えますことを楽しみにしております。
フォルテピアノ:渡邊順生 6月23日(水) フォルテピアノ・カレイドスコープⅢ
ベートーヴェンの若い頃のピアノの音量は、チェロにはとても太刀打ちできないほど小さなものでした。ベートーヴェンは、ピアノとチェロの音域や音型の絶妙な組み合わせによってこの問題を解決し、史上初めてのチェロとピアノのための二重奏ソナタや変奏曲を書きました。このような初期の作品におけるベートーヴェンの天才的な創意の妙は、今日のピアノによっては決して体験できないものと言えます。これらの初期作品と、ピアノが大きく変化した20年近く後に書かれた後期のソナタを並べて、それぞれの作品が想定していた2つの異なるタイプのフォルテピアノで演奏することにより、ベートーヴェンの精神的な変化と共に、時代の移り変わりも浮き彫りにしてみたい、と考えています。
F. ホフマン(1790年代)/N. シュトライヒャー(1818年)
F. ホフマン(1790年代)
18世紀末、ウィーンのピアノ製作家たちは、繊細なニュアンスに富む楽器を創り出した。フェルディナンド・ホフマン(1757~1829)はA. ワルターと並び称される名工で、そのピアノの打鍵の反応は極めて敏感かつ繊細で、透明感のある音色の美しさは群を抜いている。1790年代に製作されたこのピアノは、まさにベートーヴェンの初期作品の演奏にふさわしい。
N. シュトライヒャー(1818年)
ナネッテ・シュトライヒャー(1769~1833)は、19世紀の最初の四半世紀に、ウィーンにおいて最も高く評価された女流ピアノ製作家であり、また、ベートーヴェンの最も親密な友人の一人であった。音域6オクターヴ/4本ペダルのタイプは、彼女のピアノの中で特に優れたモデルで、ベートーヴェンを夢中にさせた。類まれな美しい高音を持ち、繊細さと力強さを兼ね備えている。1809年から1820年代前半まで、基本的な仕様はほぼ変更されていない。ベートーヴェンの後期のチェロ・ソナタでは、これらのシュトライヒャー・ピアノが想定されていたと考えられる。
チェロ:酒井 淳 6月23日(水) フォルテピアノ・カレイドスコープⅢ
私がフォルテピアノの世界に魅了されたのは、まだパリ国立高等音楽院モダンチェロ科の学生であった頃、かれこれ25年近く前のことでした。W. ケンプの弟子であったP. コーエンが同音楽院でフォルテピアノを教えていて、ある日偶然彼のレッスンを聴講したのをきっかけに、毎週顔を出すようになり、彼も私のことをピアニストではないのに生徒の一人として受け入れてくださいました。初めて一緒に演奏した楽器は6オクターブのブロードウッド(オリジナル楽器)で、曲はメンデルスゾーンのチェロ・ソナタ第1番でした。音楽は「体得して初めて知ったことになる」と今でも思っていますが、フォルテピアノとの最初の出会いは、正に今までとは違う景色が目の前に広がっていくような衝撃的な体験でした。
オリジナル楽器を演奏する醍醐味、それは歴史的に正統(オーセンティック)な演奏をめざすというのも確かに一理あるのですが、私の経験からいうとその思想よりも、却って演奏者の個人的な芸術にたいする思想がより素直に、より直接伝わり、その独特な解釈がパラドックス的にも作曲家の相対的真理の一つとして導かれるところにあると思います。チェロの演奏に関しては、ガット弦やクラシカル弓を使用するのですが、その良さを比喩で申し上げますと、「手編みセーターの暖かみを一度覚えると市販のセーターが何か物足りなくなる」ような感覚に似ているような気がします。
今回、サントリーホールにて渡邊順生さんとベートーヴェンを弾けることを心から楽しみしております。
フォルテピアノ:川口成彦 6月25日(金)フォルテピアノ・カレイドスコープ Ⅳ
昨年はオンライン配信という形でCMGに参加させて頂いたことは、「オンライン」形式の公演が自分にとって初めてであったこともあり、忘れ難い経験となりました。画面越しでしたが、サントリーホール所蔵の素敵なエラールのピアノの音色を沢山の方にお楽しみ頂けてとても嬉しかったです。それと共に、古楽器は繊細ゆえに「やはり生でもこの音色を聴いて頂きたかったなぁ」という想いも強く残りました。そういうこともあり、今年は生の演奏でエラールを皆様にお楽しみ頂けるということが何より嬉しいです。昨年ご一緒した原田陽さん、新倉瞳さんと再びサントリーホールにて演奏出来ることも楽しみでなりません。
2021年はサン=サーンスの没後100周年ということもあり、彼のピアノ三重奏曲をメインとしてプログラムを考えてみました。フォーレやラヴェル、グリーグの作品も1867年のエラールで是非聴いて頂きたい作品です。皆様どうぞお楽しみに!
エラール(1867年)
19世紀を代表するフランスのピアノ製造会社、エラール(Érard)が1867年にパリで製作した演奏会用のグランドピアノ。リストやショパンも弾いたとされる19世紀の名器エラールの中でも、数少ない大型であり、カエデの木目が生かされている。福澤諭吉の孫、進太郎に嫁いだソプラノ歌手・福澤アクリヴィ(1916~2001)が自宅で愛用していたものを、2004年にサントリーホールが譲り受けた。第二次世界対戦の動乱を奇跡的にくぐり抜け、パリから日本にもたらされたこのピアノは貴重で、歴史的価値がある。