オルガンのコンサートに初めていらっしゃる方から「教会で演奏されているような、他の楽器と違って、動きがないイメージが…」そんなお声が聞こえることも。そんなイメージをまさに覆すのがこの公演。梅干野安未(ほやの あみ)が選び奏でる音楽はまさに「躍動するオルガン」!曲名を見て「でも演奏する曲、知らないな」と思ったあなた、ぜひ会場でこの躍動を感じてください!きっとお帰りになるときは、曲名を覚えて帰っていただけるはず。さらにバリトン歌手の大山大輔も語りで出演。まさにオルガンの新しい側面を見つけるコンサートになること間違いなし!
演奏者本人が演奏曲目について解説します。
曲目解説
バルバートル:『ラ・マルセイエーズとサ・イラ』
本来なら今行われているはずの東京オリンピック・パラリンピック。次の開催地パリに想いを馳せ、フランス国歌が扱われている作品を選んだのですが、まさかこのような不測の事態に見舞われようとは誰が想像できたでしょうか。この作品も、18世記後半フランス革命の最中、混乱を極めるパリで作曲されました。王室や教会(オルガンも含む)は権力の象徴とされたため、革命軍によって激しい弾圧を受けていました。パリでオルガニストとして名声を得ていたクロード・バルバートル(1724~99)は、革命軍の応援歌「ラ・マルセイエーズ(現在のフランス国歌)」と「サ・イラ」を用いた作品を演奏することで、オルガンが破壊されるのを守ったと言われています。砲火が飛び交う様子も表現される過激な革命歌ですが、最近では2015年のパリ同時多発テロ追悼の際に歌われるなど、国民の魂を揺さぶる哀悼歌として様々な場面で歌われています。
モーツァルト:オペラ『魔笛』K. 620 より「おいらは鳥刺しさ」
全ての鍵盤楽器に精通し、優れたオルガン奏者でもあったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)は、幼い頃からヨーロッパ各地を演奏旅行で訪れました。故郷ザルツブルクでは宮廷オルガニストを務めたほか、滞在先で美しいオルガンを見つけては見事に演奏して聴衆を魅了したといいます。25歳からはウィーンに移住し、オペラ『後宮への誘拐』の成功によって、瞬く間にウィーンでの名声を勝ち取りました。最晩年に書かれたオペラ『魔笛』は、ドイツ語によるジングシュピール(歌芝居)で、コミカルな内容や舞台装置を使った派手な演出が大いに評判を呼びました。夜の女王の娘パミーナ姫を救うため旅に出るタミーノ王子は、鳥をつかまえて夜の女王に献上する鳥刺し・パパゲーノに出会います。本日はそのパパゲーノによる有名なアリアをお楽しみください。
ハイラー:『タンツ・トッカータ』
モーツァルト、ブラームス、シュトラウスなど、いつの時代も音楽家を魅了する都ウィーン。アントン・ハイラー(1923~79)も20世紀にウィーンで活躍したオルガニスト・作曲家の一人で、バッハ演奏に定評がありました。ウィーン音楽アカデミーの教授として優れた音楽家を輩出したほか、前衛的な書法にバロックの要素を取り入れた多くの作品を残しています。エキセントリックな音色遣いや軽妙な変拍子が特徴の『タンツ・トッカータ』(1970年)はハイラーの代表作で、踊りは次第に熱を増し、破裂するような終わりを迎えます。
トレス:「子守歌」
激しい踊りの後はゆったりと揺れる子守歌を2曲お届けします。エドゥアルド・トレス(1872~1934)は、スペインのロマン派から近現代の時代にかけて活躍した作曲家の一人で、カトリックの神父でもありました。スペイン南部、セビリャの大聖堂のオルガニストを務めたほか、評論家としても名を馳せました。アンダルシア地方の民謡が用いられた「子守歌」は、陽だまりの揺りかごを思わせるように朗らかで、優しさにあふれた作品です。
シューベルト:「子守歌」D. 498
この子守歌は、誰もが子供の頃に耳にしたことがありますね。19歳の若きフランツ・シューベルト(1797~1828)がドイツ語の詩(作者不詳)をもとに作曲した作品で、日本語では「眠れ眠れ 母の胸に…」として知られています。
フランク:『3つのコラール』より 第2番 ロ短調
セザール・フランク(1822~90)は1859年から30年にわたってパリのサント=クロティルド教会のオルガニストを務め、パリ音楽院オルガン科教授に就任し後進の指導にあたりました。カトリック信者のフランクは、バッハのコラール作品(ルター派の賛美歌を用いた作品)に強い畏敬の念を抱き、晩年にオルガンのための『3つのコラール』を作曲しました。賛美歌を用いること無く、同等のファンタジーを生み出したのです。第2番の冒頭はパッサカリア(低音主題の反復による3拍子の変奏曲)の形式で書かれ、その後フーガが続きます。それは有名なバッハの『パッサカリアとフーガ BWV 582』と同じ構成で、強い影響を受けたと言えましょう。
フローレンツ:『賛歌』作品5 より 第3曲「マリアの竪琴」
フランスの現代音楽において、これほど鮮烈な印象を残す作品があったでしょうか。ジャン=ルイ・フローレンツ(1947~2004)は、パリ音楽院でオリヴィエ・メシアン(1908~92)やピエール・シェファー(1910~95)に師事したのち、何度もアフリカや西インド諸島を訪れてその文化や音楽を研究しました。複雑で不合理なリズムと、師メシアンに通じる宗教的発想や色彩感を応用して、独自の音世界を確立したのです。『賛歌』は東アフリカ、エチオピア正教会の朝の礼拝式次第による7つの組曲。3曲目の「マリアの竪琴」は聖なる踊りを象徴し、エチオピアのマニフィカト(聖母の祈り)が呪文のように唱えられます。サントリーホールのオルガンはフローレンツが求める希有な倍音管を多く備えており、それらの組み合わせが実音と合わさった時にわずかな振動が起こり、まるでアフリカの風が漂ってくるような音響空間を生み出します。
ギユー:トッカータ
パリ音楽院にてメシアン、モーリス・デュリュフレ(1902~86)、マルセル・デュプレ(1886~1971)らに師事し、ヨーロッパ各国で幅広い音楽活動をしたジャン・ギユー(1930~2019)は、現代のオルガン界で絶大な人気と存在感を放っていました。パリの中心サントゥスタシュ教会のオルガニストを長きに渡って務め、自らが理想とする大オルガンのもとで独創的な作品を数多く生み出したのです。1963年に作曲された『トッカータ』には,彼が好んでいたプロコフィエフやストラヴィンスキーといった音楽家の影響が表れ、特徴的なリズムや独創的な音色を用いてオルガンの新たな可能性を模索した代表作と言えましょう。サントリーホールのオルガンを象徴する水平トランペットが高らかに鳴り響き、オルガンという楽器がキリスト教の典礼のために限らず、楽器として魅力的なものであることを感じられる躍動感あふれる作品です。