Vol.21
《おようのあま絵巻》
―ここにも見える「扇の国、日本」
水平線があっち向いたりこっち向いたり…建物が今にも崩れそうな、三半規管に刺激的な絵巻です。遠近法も無視され、草木と人間の大きさもアンバランス。一見、この歪んだ絵の世界に酔ってしまいそうですが、いつしかその稚拙さが心地よくなる、妙な味わいがあります。
室町時代、頭に大きな袋をのせ、「御用(およう)やさぶらふ」と声をかけながら日用品を商う販女(ひさぎめ)たちを〝おようの尼〞と呼びました。ある日年老いたおようの尼が、一人貧しく暮らす老僧の草庵を訪ね、よもやま話をするうちにその侘しい生活ぶりに同情し、身の回りの世話をする若い女性を斡旋しようかと持ちかけます。老僧は喜んで依頼し、首を長くして待つこと五、六十日。夜になって、まずはおようの尼が訪れ、部屋を暗くして待つようにと伝えて去ります。やがて現れた女は恥ずかしそうに顔を隠していましたが、僧は上機嫌で一夜を共にします。しかし翌朝傍らを見ると、女は何と、おようの尼その人!呆気にとられる老僧に、尼は身代わりになった言い訳や、自分たちが似合いの縁であるとさまざまに口説くのでした。
この物語は、美しい娘を得ようと色欲に迷い、かえって醜い女をつかまされる僧侶の失敗譚の一つです。しかし、僧の破戒に対する揶揄ではなく、むしろ、老僧を翻弄する機知に富んだおようの尼の姿に物語の魅力があるといえるでしょう。彼女のしたたかさからは、室町時代の人々の陽気さとしぶとさが感じられます。
さらに上の場面からは、当時の〝扇〞贈答のワンシーンを垣間見ることができます。日本で生まれ発展した扇は、中世以降、しばしば贈答品としても用いられました。老僧も、若い女性との結婚話がまとまったと一報を聞くと、尼に仲介の謝礼として扇の引出物を贈り、「逢ふ儀(あふぎ)」だ、「末広がり」だと祝い合います。
扇は、需要の高まりとともに量産されるようになり、すでに十四世紀半ば頃には既製品が店頭販売されるようになっていました。そして、おようの尼が哀れむほど粗末な生活を送る老僧にとってさえも、扇は身近な祝い物ものだったのです。絵巻の詞書からは、おようの尼の大きな袋の中に、薬や香、織物に加えて「紙扇」も入っていたことが知られ、老僧も、このような行商人から扇を購入していたのかもしれません。おようの尼を裸足で追いかけて扇を贈るほど、僧は縁談の話が嬉しかったのでしょう。その身に迫る悲喜劇を知らない老僧の姿が、切なくも滑稽に映ります。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.277.2019.5, p.6
2020年7月10日
※「扇の国、日本」展は、2018年11月28日〜2019年1月20日に開催されました。