Vol.19
《阿蘭陀人并丸山遊女之図》
―見果てぬ異国へのあこがれ―長崎版画―
シルクハットをかぶり、左手でステッキをついた洋装のオランダ人男性と遊女の姿が描かれています。本図は、現在「長崎版画」と呼ばれる作品群のひとつです。
江戸時代、オランダや中国と交易を行った長崎では、異国情緒のある美が生まれました。その中で、ヨーロッパと中国の人物・船・風俗などをモチーフにした版画を長崎版画と呼んでいます。「長崎絵」ともいわれますが、長崎絵という言葉は、現在では長崎で描かれた版画以外の洋風画も含むことがあり、ここでは長崎版画という呼び名を用います。
17世紀半ば、平戸のオランダ商館が長崎の出島に移され、松前・対馬・薩摩とともに長崎は江戸時代に海外とつながる「四つの口」のひとつとなりました。文化人をはじめ多くの人々が異国への興味をかきたてられ長崎を目指しており、例えば、江戸の洋風画家・司馬江漢もその一人です。『江漢西游日記』には長崎勝山町に「オランダ船図や唐人屋敷図など売る者」があると記されています。長崎版画はエキゾチックな長崎の風俗を描いた土産物として旅人たちに買い求められていたのです。
江戸時代の版画というと多色摺りの浮世絵が有名ですが、長崎版画は、輪郭線を版木で墨摺りした後、筆による手彩色や、合羽摺(かっぱずり:型紙と刷毛で彩色する技法)が用いられました。江戸時代後半になると多色摺りの技法も江戸から伝わっています。大量生産品だったためか、制作者名や版元印がないものが多く、その実像は決して明らかではありません。
本図に描かれる〈オランダ人と遊女〉の組み合わせは、しばしば長崎版画に取り上げられた画題でした。江戸に吉原、京に島原があれば、長崎には丸山の花街があり、丸山遊女だけはオランダ・唐人屋敷に出入りすることができました。遊女の中には相手と恋に落ちるものや密貿易に関わったものもいたといわれ、様々なドラマがあったようです。
本図のように長崎版画には折り目がついたものが散見され、折り畳んで持ち運ばれたり、保管されたりしていたことがうかがえます。素朴で柔らかな画風をもち、異国情緒をたたえた長崎版画からは、当時の人々の驚きや興味、まだ見ぬ世界への憧憬がみてとれるのです。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.274.2018.10, p.6
2020年7月3日