Vol.17
《染付山水文水指》
―「きれい寂び」と伊万里
伊万里の染付磁器の水指で、胴は紐で縛ったかのように鋭くくびれ、腰も高台にかけて細くすぼまっています。直線的でメリハリの利いた端整な姿です。現在、蓋は漆の塗蓋のみとなっていますが、蓋を受ける部分は無釉で、類品に磁器製の蓋が伴っている例があるので、本作も元はそうした磁器製の蓋が付随していたものとみられます。染付の発色は良く、口縁に蓮華唐草文をあしらい、胴周りには趣のある筆致で月や船を配した山水画がゆったりと描かれています。
伊万里の器と言えば皿や鉢といった食器、あるいは輸出用の大皿・壷などがイメージされるかと思います。そのような中で伊万里の茶道具と言うと、あまりなじみのない分野かもしれません。しかし、茶道具は伊万里の草創において重要な位置にありました。
伊万里は1610年代に焼成が始まり、そこから17世紀前半の間に作られたものを初期伊万里と呼んでいます。そして、この初期伊万里の意匠は、江戸時代の初めに日本の茶人が中国の景徳鎮民窯に注文して作らせていた「古染付」をモデルにしているものが多く、当時の茶の湯の動向と密接な関係があると言われています。本作も初期伊万里の作例の一つで、胴締形の器形や絵付などは古染付に倣ったものとみられます。
古染付が茶人に受容されていた寛永年間(1624〜1644)頃、茶の湯をリードしていたのは小堀遠州でした。それまでの千利休や古田織部とは一線を画す瀟洒で明るく均整のとれた遠州の茶の湯、いわゆる「きれい寂び」は大名を中心に流行を見せ、洗練された華やかな染付の茶道具も積極的に取り入れられるようになります。実際、遠州の茶会記にも染付水指の記録が見られ、当時最新の渡来品であった古染付の水指を使用した可能性も考えられています。
そして遠州の茶会記には、わずかながら「肥前焼」の水指を使ったという記録も見られます。もしそれが伊万里であれば、古染付に通じる本作のようなものを使ったのかもしれません。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.272 2018.6, p.6
2020年6月26日