Vol.15
《江戸高名会亭尽両国柳橋河内屋》広重が描いた江戸の高級料理屋
ー小さな画面にあふれる教養の世界
眺めの良い二階座敷で書画を鑑賞する人々。奥の若衆が亀の図を掲げ、扇を持った男が熱心に見つめています。賛の入った絵を広げる男や、墨竹が描かれた扇を手にする女性の姿も見えます。床の緋毛氈に筆を洗うための大鉢や絵具皿、筆が置かれているので、今まさに書画会の真っ最中であることが分かります。書画会とは有名な絵師や書家が客の前で即興的に作品を制作するイベントのことで、気に入った作品をその場で購入することもできました。
本作は江戸の有名な料理屋を取り上げたシリーズのうちの1図で、両国柳橋にあった河内屋を描いています。眼下に隅田川を臨むこの店は貸座敷としても利用され、書画会や落語会などがしばしば行われました。書画会で作られた作品は部屋のなかに飾られ、即席の展覧会のようになったそうですが、本図左の障子上に貼られた紙を見てみると、書画ではなく、なぜか当時人気のあった白粉「仙女香」の文字が…。この白粉、正式な商品名は「美艶仙女香」といい、京橋南傳馬町三丁目にあった坂本氏から発売されました。広重画に目を戻してみると、紙には坂本氏の名前と住所がはっきりと書かれており、ちゃっかりと商品の宣伝がされています。おそらくこの浮世絵の版元と坂本氏との間で、スポンサー契約のようなものが結ばれていたのでしょう。
一方、画面右上の扇形には、次のような狂歌が記されています。「おつな業平河内屋へ度々通ひ」。河内屋と、『伊勢物語』の「河内越」の話を結びつけ、女の下へ通う在原業平を持ち出した、洒落た趣向になっています。
機知に富む仕掛けを多数盛り込んだ作者・広重の力量もさることながら、それを理解し、楽しんでいた江戸っ子たちの文化度の高さには舌を巻くばかりです。そして、書画会に参加する文人墨客の姿を鑑賞するという行為もまた、なかなか高尚な趣味ではないでしょうか。この小さな広重画は、その背景にある豊かな教養の世界をも垣間見せてくれます。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.270, 2018.1, p.6
2020年6月19日