Vol.14
ガラスに閉じ込められた艶やかな姿態
ー小出楢重のガラス絵《立てる裸女》
大正期から昭和初期にかけて活躍した画家・小出楢重(1887〜1931)は、油絵制作の傍ら、ガラス絵の創作にも意欲を燃やしました。実家は大阪ミナミの歓楽街で膏薬を商う薬舗。長男の楢重はいわゆる「ぼんち(坊ちゃま)」で、幼少の頃は歌舞伎や浄瑠璃の芝居小屋、見世物小屋に囲まれて育ったといいます。随筆も多く、ガラスに対する愛着を吐露していますが、少年時代の境遇からか、特に揺らめく色ガラスへの偏愛を次のように語っています。
「(前略)ことに色ガラスの色感くらい私を陶酔させるものはない。安物の指輪の赤いガラス玉、支那めし屋の障子に嵌め込まれたる色ガラス、暗の夜に輝くシグナルの青と赤など、ことに私はその青色により多くの陶酔を覚える。何か心不安なる折、何かが癪に障る時、苛々する時このシグナルの青色の光を眺めると一時この世の何物をも忘れ去ることができる。それは私にとってのカルモチン(註1)である。」(註2)
当館所蔵の楢重のガラス絵は、わずかに1点。散らかった洋室に、九等身もあろうかという腰の張った裸婦が立っています。身体も部屋も西洋風、しかし頭だけが挿げ替えたようにこけし顔。アンバランスですが退廃的な風情すら漂うのは、私的な空間を閉じ込めた小画面と、ガラス絵特有の艶やかさのせいでしょうか。
43歳で逝去した楢重は、夥しい数の裸体画を残しました。油彩画しかり、ガラス絵しかり。ただ双方の描法は全く異なり、前者が地から隆起に従って塗り重ねていく一方で、板ガラスの裏側から描く後者は、例えば裸婦の場合、へそやハイライトを描いた後、肌を塗り広げます。極端に言えば、まずサインから描いていくのです。作品として成り立つか分からないと言うのに、署名から始めるガラス絵。画家にとってその行為はどこか滑稽で、同時に緊張感の伴う作業だったに違いありません。
楢重の言葉によれば、彼はガラス絵について以下の点を重視しました。画面は小さく、色数は抑え、厚塗りを避け、対象の特徴を端的に捉える。上品な古額とは相性が良い。ただし決して大作になってはならない。なぜならガラス絵は画家にとって、間食のようなものだから。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.269, 2017.10, p.6
2020年6月19日
註(1) 鎮静・睡眠作用のある薬
註(2) 小出楢重「ガラス絵雑考」、『美術新論』第5巻第6号 昭和5年(1930)