Vol.13
《和歌の橘図巻》
ーみかん絵巻の謎
木々をよく見ると、だいだい色の果実がいっぱい!「蜜柑(みかん)の花が〜咲いている〜♪」と、つい口ずさみたくなるかわいい絵巻です。しかし、作品名称は《和歌の橘図巻》。絵巻といえば、文字と絵によってストーリー性のあるものを表しますが、この作品は詞書を欠き、絵のみが連続する図巻となっています。
二巻のうち、上巻には蜜柑の収穫や販売、船積みの風景が表され、下巻では市場での行商や野外遊楽、筏流しの場面などが描かれています。そのため内容は、紀州から江戸に蜜柑を運んで大儲けをし、幕府御用達の材木商として財をなしたという紀伊国屋文左衛門(?〜1734 )の一代記といわれてきました。
元禄期の豪商として名高い紀伊国屋文左衛門(通称:紀文)ですが、確認できる史実は極めて少なく、同時代の史料には、紀文が紀州出身であることや蜜柑船の話も見られません。彼にまつわる逸話の多くは江戸時代後期に至ってから創作されたものであり、特に船で蜜柑を運び巨利を得たというフィクションは、戯作者・為永春水(ためながしゅんすい)による人情本『長者永代鑑(ちょうじゃえいたいかがみ)』(文政6年〈1823〉刊行か)以降、明治にかけて広く受容されていきました。
そこで問題となるのが、絵巻の制作年代です。本作が紀文の一代記であった場合、絵巻の成立も紀文の蜜柑エピソード誕生を待つことになります。しかし、本絵巻の絵は、土佐光成(光起の子、1647〜1710)筆との伝承は認めがたいまでも、江戸時代中期のやまと絵画風を示しており、人物の風俗年代を考え合わせても、制作は19世紀まで下らないものといえるでしょう。
たわわに実る美味しそうな蜜柑。しかし、これまで私たちはその蜜柑に惑わされていたのかもしれません。本絵巻を紀伊国屋文左衛門の一代記とする説も今後再考が必要です……未完(ミカン)。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.268, 2017.8, p.6
2020年6月12日