Vol.11
上林豊明コレクション
ーある皮膚科医の集めた
櫛・簪・笄たち
「生活の中の美」という当館の基本理念を象徴する館蔵品に、江戸時代以降の約700点の櫛・簪・笄があります。実はこのコレクションには、「皮膚科のお医者さんが自分の研究材料として、フケを採取するために集めた」との逸話が伝わっています。
その皮膚科医の名は上林豊明(1888〜1939)。東京小石川の二代続く医者の家に生まれ、東京帝国大学医科大学では近代皮膚科学の祖・土肥慶蔵に学びました。温厚、内省的な人柄で、若い頃は「江戸川のたぬき」という愛称があったそうです。
同じ土肥門下の皮膚科医で、木下杢太郎の名で多方面に活躍した太田正雄による上林博士の追悼記事には、「君ハ夙クカラ江戸風俗史ノ研究ニ指ヲ染メラレ、(中略)晩年ニハ女子ノ服飾ノ歴史ニ興味ヲ持タレ、殊ニ其装髪具ノ蒐集ハ知人ノ間ニ有名デアツタ」(太田正雄「上林豊明教授ノ遠逝ヲ悼ム」『皮膚科泌尿器科雑誌』45-3、1939年)とあります。
事実、上林博士は本業の傍ら、恩師・土肥博士の勧めにより、江戸時代の遊郭研究に携わり、当時の遊女の値段を考証した『かくれさと雑考』(磯部甲陽堂、1927年)などの著書や、多数の論文を残しています。さらに、「櫛の話」(『日本医事新報』735、1936年)では、「私は皮膚科を専門にして居るので毛髪の事に関連して婦人の結髪に興味を持ち、古来からの殊に日本の女の結髪を調べやうと思つたのであります。櫛の蒐集はつまり其の余興」であると述べ、日本の櫛の歴史を通覧した後、様々な浮世絵や版本の記述に基づき、江戸時代の櫛の制作年代を考証しています。どうやら、博士による櫛の蒐集は、フケの採取というより、もうひとつのライフワークである江戸風俗史研究の一環だったようです。
上林豊明コレクションを保管する古びた重箱の中には、博士自筆と思われる墨書の調査記録の紙片が数枚残っています。自らの専門の枠を越え、古今の文献を渉猟し、実物と真摯に向き合った博士の、篤学の精神に触れる思いがします。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.265, 2017.2, p.6
2020年6月5日