Vol.6
《放屁合戦絵巻》
ー失われた「をこ絵」の残像
「勝絵(かちえ)」と呼ばれる男の陽物の大小や屁の威力を競う話のうち、後者のみをまとめた絵巻です。巻末の奥書より、文安6年(1449)に京都・仁和寺にあった絵巻を模写したものであることがわかりますが、すでに原本は失われ、当館所蔵の一巻以外に古い模本の存在は確認されていません。
内容は、法師たちが木の実などを食べて腹にガスを溜め、放屁競べを繰り広げるという奇想天外なもの。最後の一戦では、下半身を露わにした老齢の尼公(あまぎみ)と一糸まとわぬ法師が、朱扇を射落とさんと尻を突き出して屁を放っています。実はこの尼公、放屁名家の正統な後継者であり、身体の中から妙音を発する放屁の珍芸によって長者になった、お伽草子『福富草紙』で名高い高向秀武の娘だと自ら名乗っています。そのような真打ち登場に、挑戦者の法師は息むあまり手にも力が入っています。
屁・屁・屁……と尾籠(びろう)な情景が展開する本絵巻ですが、この「尾籠」という言葉が、もともと「をこ」という古語の当て字で、やがて音読みされるようになった語であることをご存知でしょうか。「をこ(痴・烏滸・尾籠)」とは、「おろかなこと」「ばかげたこと」という意味で、かの有名な《鳥獣人物戯画》誕生よりも早く、11世紀には「をこ絵」と呼ばれる滑稽を積極的に目指した戯画の一ジャンルが成立していたことが知られます。
平安時代末の編集とされる『今昔物語集』には、機知に富む「をこ絵」の名手として、比叡山の高僧・義清阿闍梨(ぎせいあじゃり)に関する興味深い話が出てきます。すなわち、義清は人から絵を頼まれ長い巻紙を渡されると、紙の端に弓を射る人物と、もう一方の端に的だけを描き、あとは間に長々と一筋の線を引いた。絵の注文主は紙の無駄だと腹を立てたが、義清の絵は、ただ一筆で対象を生き生きと表現した見事なものであった、と言います。
残念ながら、『今昔物語集』に語られるような「をこ絵」の作例は伝来しませんが、現存作品の中で最も近い表現を認められるのが《放屁合戦絵巻》だと言えるのです。義清も、この屁の軌跡のように、飛んでいく矢を勢いよく墨線で表わしたのでしょう。《放屁合戦絵巻》が尾籠な絵巻だからと敬遠せず、その表象に「をこ絵」の残像を見るのもツウな鑑賞です。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.258, 2015.11, p.6