Vol.5
《十二ヶ月景物図巻》
ー謎解き「伊達」絵巻
正月の小松引きの行事に始まり、山桜、苗代、卯花、郭公、常夏、鹿、小鷹狩、菊、紅葉、千鳥、雪といった十二ヶ月の景物を詠んだ和歌と、その内容を表した絵を合わせた華麗な絵巻です(現在二月の和歌が失われています)。
和歌は十二人の公家によるもので、通常であれば各担当者が筆をとって寄合書とするところを全て一人の筆跡で書かれています。絵は宮廷絵師の土佐光芳(1700〜1772)の手になり、細やかな筆づかいは大和絵の伝統に根ざし、温和で瀟洒な画風が和歌と巧みに共鳴しています。そして箱に貼られた「観瀾閣蔵品印」の札は、本作が仙台藩主・伊達家の旧蔵品であった事を示しており、和歌に「千代」「千世」といった言葉が織り込まれていることから、同家における何らかの慶事に制作されたものと思われますが、詳細は謎に包まれていました。
そこで、まずはほとんどが姓や官位だけで記され、明確ではない和歌の詠者の中で、名前が記される武者小路実岳、久世栄通、高松実逸の位階が作品の記載の通りになる期間を求め、さらに他の詠者の姓や官職を手がかりにすることで、制作年代を延享三年(1746)から寛延二年(1749)の約四年間にまで絞ることができました。そして、この期間の伊達家の記録と照合してみると、本作は寛延二年四月に行われた第五代藩主であった伊達吉村の七十歳のお祝いのために、第六代藩主の宗村が作らせ、贈ったものと判明したのです。
この伊達家の記録はとても詳細で、儀礼の次第や、和歌の出題者、詠者、清書者ほか制作に関わった人物への謝礼の内訳まで記されています。また、伊達家と血縁のあった、七月の和歌を担当した「源大納言」こと久我通兄(1709〜1761)が制作の指揮を執っていたことも窺われ、通兄の日記には本作の制作ために奔走する様子が残されていました。
これらからわかったことは、言ってしまえば長大な儀礼の一部でしかない本作の制作に多大な労力がかけられていることで、こうした手間隙を惜しまない姿勢が近世大名の「生活の中の美」を支えていたと言えるでしょう。
本稿は「《十二ヶ月景物図巻》―謎多き「伊達」絵巻」(『サントリー美術館ニュース』vol.257, 2015.9, p.6)発行後の研究成果を踏まえて発表した「伊達家旧蔵 土佐光芳《十二ヶ月景物図巻》の制作年代と制作背景」(『サントリー美術館 研究紀要 二〇一六(第三号)』,2016.3, p.46-71)を元に、2019年8月に新たに執筆しました。
2019年8月7日