Vol.1
西川祐信筆《美人図》
ーあるいは夢の中の女
湯浴みをした後なのでしょうか。上半身も露な女性が、浴衣を肩にひっかけながら、湯文字の紐を結んでいるところです。背後の衝立には、これから身に纏うであろう着物が、無造作にかけられています。
西川祐信(1671〜1750)は江戸時代前期に京都で活躍した絵師で、本作のように清楚な顔立ちの美人画を得意としました。注目したいのは、本作の画中画、つまり衝立に描かれた絵です。女性が視線を落とした先には、裾の長い頭巾を被った高士がいます。対岸に松の生える川辺に佇み、虚空を仰ぐ彼の視線もまた、女性へと注がれているように見えます。今回は、二人の視線の交わりを手掛かりとして、本作を読み解きたいと思います。
高士は、その身なりや従者の童子が抱える琴から、中国の代表的な文人陶淵明(365〜427)と捉えることができます。彼が詠んだ漢詩の中で、最も特異なものに「閑情賦」があります。これは、理想の女に対する狂おしい恋情を吐露した作品で、そのあまりに官能的な内容は、静かな田園に住まう隠者というイメージからはかけ離れています。陶淵明はこの詩において、女の美しさを賞賛した後、「絹ならば靴となりたい」「昼間ならば影となりたい」など、様々な妄想を繰り広げます。しかし、どんな願いも所詮は空しく、女の面影を探し求めて林の中を彷徨いながら、「せめて夢の中で会いたい」と切ない思いに心を乱します。そして最後は「妄想の全てを捨て、真心を大切にして情欲を鎮めよう」と締め括るのです。
興味深いのは、十に及ぶ妄想のうち「願はくは裳に在りては帯と為り窈窕の繊き身を束ねん」(原文は漢文)という一節です。すなわち「スカートならば帯となって、そのたおやかな細い身体を締めてあげたい」と言うのです。ここで本作にたち戻ると、湯文字の紐を結ぶという女性の行為自体が、陶淵明の抱いた妄想のひとつとわかります。つまり、恋の成就の絶望的な不可能さを、衝立の中の陶淵明と、その前に立つ女性によって象徴的に表現したところに、本作の隠れた面白さがあると言えます。
出典:『サントリー美術館ニュース』vol.250, 2014.5, p.6