清親の画業は光線画だけでは語れない。明治14年(1881)以降、清親は光線画の制作を離れ、雑誌や新聞に掲載する風刺画や戯画に軸足を移していった。本作は、出た目の数によって指定されたマス目に飛ぶ「飛び双六」で、各図は少々毒気のあるユーモアが効いた内容となっている。下段(左から右へ、以下同)は、「素人角力(すもう)」・振り出しの「年礼の大男」・「轆轤頭馬車に乗る」、下から二段目は、「かつぽれ」・「とうふや大ごゑ」・「ふとり客にやせた車夫」、上から二段目は、「大風に驚く」・「太夫のくるしみ」・「椅子のくづし」・上段は「頓知の雨よけ」・上がりの「花嫁のおもき」・「矢をつく車」となる。例えば、「轆轤頭馬車に乗る」では、頭は馬車の奥に進んでいるが、体がまだ馬車の外にあるろくろ首を、「とうふや大ごゑ」では、天秤棒を担いで売り歩く豆腐屋の声の大きさに驚く様子を、「頓知の雨よけ」では、傘がなくとも荷物の下に隠れている子どもを描く。本作のように双六形式ではなく、一図ずつの状態で同じ図様の作品も伝わる。タイトルは、東京の景色を意味する「御東景」と「おどけ」の語呂合わせである。(『激動の時代 幕末明治の絵師たち』、サントリー美術館、2023年)
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