なんとはっけい ずかん
11世紀頃に中国北宋の文人画家・宋迪が創始した「瀟湘八景」は、これを描いた牧谿や玉澗など中国宋元絵画をはじめ、我が国の絵画史においても水墨山水の重要な画題として作例が少なくない。とくに友雪の父友松もその例にもれず得意の題材としていたが、「八景」という様式にならって、鎌倉時代後期以降の日本においても「近江八景」などさまざまな「八景」が選ばれ、次第に定着するようになった。中でも「南都八景」は、現在の奈良市内の東大寺や興福寺周辺にみられる実際の風景から選ばれた景色である。この画巻の順番にしたがえば南円堂藤、三笠山雪、佐保川蛍、猿沢池月、春日野鹿、雲居坂雨、東大寺鐘、轟橋旅人の八つをいうが、「轟橋」など今では現存しないものもある。室町時代に相国寺鹿苑院の僧である蔭涼軒主が記した『蔭涼軒日録』の寛正6年(1456)9月26日の条に、蔭涼軒真蘂が将軍足利義政に付き添って奈良を訪ね、春日社に詣でた際の記事中に初めて登場する。その後、近世に入り江戸時代には名所図絵の類などにも採用され「南都八景」が広く知られるようになった。この画巻の巻末には「明暦丙申 孟夏仲旬 海北友雪斎道輝図」と記され、白文印「海北」と白文方印「道暉」が捺されており、明暦2年(1656)の友雪の作と判明するが、南都八景に選ばれた各風景にちなむ七言絶句と和歌を交えながら、やわらかな墨の濃淡と余白を活かした省略の効いた水墨表現によって八景を順番に描き出している。和歌や漢詩の作者は「権大納言」「前中納言」「文章博士」など複数にわたるが、一紙ごとに漢詩と和歌と絵を完結させつつも、紙継ぎに留意しながら文字の大きさを自由に変え、余白を大胆にとるなど創意工夫が図られている。友雪の絵の筆致は、友松画の峻烈な筆さばきよりも、やはり探幽画の瀟洒な画風に近く、五十代後半における友雪の画業の幅を物語る興趣深い作例である。(『徒然草 美術で楽しむ古典文学』、サントリー美術館、2014年)
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