しょくにんづくしず
鎌倉時代、商工業の繁栄と庶民生活の向上を背景に生まれた職人歌合絵巻は、職業の分化、発展にともない、やがて歌仙絵の伝統から離脱した、生態の活写が見られるようになる。近世初期風俗画が盛行するなかにあって、このような職人歌合絵に触発され制作されたのが職人尽絵屛風である。職人尽絵は当時かなりの流行をみたようで、現存作例は数多い。そのうち元も有名なのが、六曲一双屛風の各扇に二図ずつ貼り込んだ埼玉県川越市・喜多院所蔵のものである(以下、喜多院本)。各図には朱文壺印「吉信」が捺されており、その作風と年代的特徴に照らしても、印のとおり正系狩野派に属す狩野吉信(1552-1640)の制作とみなされている。この喜多院本と構図・図様を同じくする遺品は多く、本作品もその一つに数えられる。本作は現状額面六枚(研師図、扇師図、革師図、糸師図、甲冑師図、刀師図)として伝わるが、もとは屛風に貼付されていたものであろう。彩色は概して淡白であり、衣の文様なども簡素である。また、やや野趣のある人物の面貌表現などに狩野派の特色は認められず、年代的には喜多院本よりわずかに下った時期の民間工房作と判断される。本作品で注目すべきは、喜多院本系諸本と異なり画面形式が縦長の点である。喜多院本、および、制作年代が喜多院本と近く且つ喜多院本より古い祖本の存在を示唆する旧田辺家所蔵の「職人尽絵屛風」(以下、旧田辺家本)は、とりわけ画面上部に不自然なモチーフの切断が認められ、画面がさらに上方へ広がっていた可能性を伝えている。また、画面上部のほぼ半分が金泥引きの余白として残る本作品は、その質素な描写、淡彩と相まって古様な画面となっており、古雅な情趣表現を有す旧田辺家本の存在と合わせ、喜多院本にさかのぼる祖本が中世やまと絵の要素を濃厚に含んでいたことを推測させる。画面の上部には、狩野尚信筆「職人尽図屛風」(『國華』九八四号紹介)のように歌賛が寄せられようとしていたのだろうか。本作品は、近世初頭における職人尽絵屛風の発生と職人歌合絵巻との関係を考える上でも一つの示唆を投げかけてくれる佳品といえよう。(『夢に挑む コレクションの軌跡』、サントリー美術館、2011年)
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