いしやまでら えんぎ えまき もほん
本作品(以下、サントリー本)は、近江の古刹石山寺の創立と沿革、本尊如意輪観音の霊験を七巻にわたって描く重要文化財「石山寺縁起絵巻」(石山寺蔵/以下、重文本)の模本である。石山寺縁起絵巻は、重文本の巻一巻頭の序文、および縁起絵の言葉のみを記した「石山寺絵詞」(一巻、京都国立博物館蔵)の存在より、正中年間(1324-1326)頃に観音の応現に因んで三十三段の絵巻制作が企図されたことが知られる。しかし、現存七巻は同時期の制作ではない。巻一~三が鎌倉後期、巻五が南北朝、巻四が室町後期、さらに巻六・七は江戸時代に描かれたものである。重文本の巻七奥付には、白河藩主・楽翁松平定信(1758-1829)による跋文があり、巻六・七制作についてその次第を述べている。すなわち18世紀末、石山寺には巻一~五までの絵巻があったが、巻六・七は詞書のみが残り、絵を欠いていた。定信は、お抱え絵師の谷文晁(1763-1840)にその制作を命じ、文化2年(1805)に補完されたという。サントリー本は、重文本の巻ごとに異なる絵師や染筆者に関らず、絵および詞書までも逐字的に結体・筆癖をすべて真似て筆写された細密精巧な模本である。また、内箱蓋表には「石山縁記(ママ)七巻」、外箱蓋表貼紙には「尾張徳川家御払品/田安家伝来/石山縁起七巻/跋文白河楽翁公之御筆/絵師谷文晁之筆」との墨書を有すが、跋文の一部には脱字と加筆も認められるため、箱貼紙に記されるごとく跋文が楽翁定信の真筆であるとは言い難い。絵も谷文晁によるものかどうか、その真偽のほどは明らかではないが、緑青や群青の岩絵具を厚く重ねる濃彩に金泥を交えた鮮やかな描写は、当時、色彩を追及した文晁の画風をよく伝えている。サントリー本は、「石山寺縁起絵巻」補完事業と谷文晁工房との関係を考える上で、重文本巻六・七の補作と近い制作環境で模写されたことを想像させる優品といえよう。(『夢に挑む コレクションの軌跡』、サントリー美術館、2011年)
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