だったんじん だきゅうず びょうぶ
韃靼人はモンゴル系の一部族タタールに由来し、のちモンゴル民族全体の呼称となった。この韃靼人が登場する「狩猟図」、あるいは「打毬図」は、その馬上の勇姿が好まれたゆえか、室町時代より桃山時代にかけて、とくに武家の間で愛好され、屛風や城郭の襖絵にも遺品が少なからず残っている。この二曲一隻の屛風は、左右各扇にある引き手跡と画面の大きさからみて、襖絵を二曲一隻の屛風に改装したものと知られる。三人の疾駆する馬上人物は打毬の姿を示し、もともとは一室を例えば「韃靼之間」として構成した内の襖二面分なのであろう。筆者に関しては、人物の面貌表現や着彩の傾向、たなびく金雲の形態などから、永徳様式から息子である狩野光信に画風が受け継がれ、移行する時期の狩野派の特色がうかがわれる。(『夢に挑む コレクションの軌跡』、サントリー美術館、2011年)
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