さんじゅうさんげんどうとおしやずびょうぶ
京都、三十三間堂の通矢は、旧暦4・5月に、堂裏の西の縁側で桁行六六間(約百二十メートル)を一昼夜で何本射通せるかを競ったもの。縁側右端に諸肌を脱いだ射手を描き、左端の矢先の芝の背後と射手の脇には、芝旄と采配を振って声援を送る。射手の背後では、矢を矯めたり茶を点てたりと、様々な裏方の様子が描かれる。屛風の墨書に「同七千五百余壱人」(通矢七千五百本余の者が一人)とある。寛文8年(1668)に葛西園右衛門が通矢七千七拾七を、翌年星野勘左衛門が同八千の記録を作っており、景観年代はこの頃とも考えられる。(『おもてなしの美 宴のしつらい』サントリー美術館、2010年)
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