まり まりばさみ
蹴鞠は、革沓を履き鞠を一定の高さまで蹴り上げ続けたり、落とさないように受け続ける遊びで、平安後期以降盛んになり、貴族の文化として継承された。鞠は中空で鹿皮を縫い合わせて作られる。鞠挟の架台は黒漆塗で金蒔絵の水巴と上り藤の紋を散らす。鞠を挟む円形の枠には金地に金銀の蒔絵で菊唐草を描く。金具は銀製である。天正19年(1591)6月6日の秋田の西馬音内茂道から兼続に宛てた書状に、「其元にて御鞠細々御興行之由、想像申す計りに候」(『上越市史 別編二 上杉家文書集二』ぎょうせい、2004年、656頁)とあり兼続が蹴鞠に熱中していたことが知られる。他の武将では、和歌や連歌の他、料理まで嗜んだ当代一流の文化人、細川幽斎(1543-1610)は蹴鞠にも秀で、毛利輝元の初めての上洛の時には、公家衆に混じって蹴鞠を披露している。金森宗和の祖父金森長近(1524-1608)も蹴鞠を好んだという。蹴鞠は伝統的な教養の一種であり、兼続の幅広い教養の一端がうかがえる。(『NHK大河ドラマ特別展 天地人―直江兼続とその時代―』サントリー美術館ほか、2009年)
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