(A)新たな出会いを求めるあなたに
退屈な日常に刺激がほしい
スイーツも好きだが激辛料理も好き
バラエティに富んだ曲を聴きたい
8/27(土)「佐藤紀雄がひらく」大ホール 〈単独者たちの王国〉めぐりあう響き
- クロード・ヴィヴィエ(1948-83):ジパング(1980)
- 武満 徹(1930-96):群島S. 21人の奏者のための(1993)
- マイケル・トーキー(1961-):アジャスタブル・レンチ(1987)
- リュック・フェラーリ(1929-2005):ソシエテII―そしてもしピアノが女体だったら(1967)
辛いものと甘いものを一緒に食べる「柿ピー」プロ
まずは8月27日「佐藤紀雄がひらく」(大ホール)から行きましょう。クロード・ヴィヴィエ、武満徹、マイケル・トーキー、リュック・フェラーリ、4曲ともバラバラの方向性を持ったプログラムです。
本当ですね。だから、おもしろいともいえます。僕は今回、いちばん生で聴きたいのがヴィヴィエの《ジパング》。きつい音が続く曲なんだけど、彼の狂ったようなところがよく出た曲だと思うんですよね。しかも、光栄なことに《ジパング》という名前がついている。
刺激的だけど楽しい曲だと思います。《ジパング》というタイトルもエセ・ジャポニズム風でおもしろい。
どこが《ジパング》なのか全然わかんないんですけどね。同じような響きがギリギリとずっと続く。しかもアンプリファイするとか。
そう。弦楽器奏者がマイクをつけてステージ上に散らばる。
ギシギシギシっていう擦過音が拡大されるわけですけれど、ベートーヴェンやブラームスが好きな人よりも、ロック系の人に親近感を持ってもらえる曲かもしれない。
2曲目は武満徹の《群島S》。これはもう本当に美しいし、優しい。
晩年の武満さんの柔らかくて、きれいな、ある意味ではきれいなだけの作品ですけれど―――あ、これは否定的な意味で言ってるのではなく、すごいことだと思ってます――、大事なのは、クラリネット二人が客席の側で演奏するという空間的な配置ですよね。ホールで聴かないと魅力が伝わらない。
3曲目はマイケル・トーキーの《アジャスタブル・レンチ》。とことんポップで、おしゃれな曲です。こういう曲とポップ・ミュージックとの境目ってどこにあるんでしょう。
うーん……。これだったらポップス聴いたほうがいいやっていう人もいるかもしれないけれども、でもやっぱり違うんですよ。拍が1、2、3、4とちゃんとあって、調性的なおしゃれな和声が流れてるという意味ではポップだけれど、いろんな旋律が組み合わさってできる模様のおもしろさは、ポップスとは少し違うと思うんです。
最初の3曲は聴きやすいのですが、最後のリュック・フェラーリの《ソシエテII―そしてもしピアノが女体だったら》は難関かもしれない。
うん、このなかではいちばんいわゆる現代音楽的な響きがしますよね。ただ、音だけを聴いているとそうだけど、実際にはいろんなアクションが入ってきます。ピアノの曲線を女体に見立てて、そこに打楽器奏者が絡む。むしろ見方によってはとても分かりやすい。
でも瞬間瞬間の響きのおもしろさはあっても、音だけ聴いてこの長さの曲を僕は文脈を追って聴くことができないんですけど。
あ、それは現代音楽の大きな問題。かなり乱暴にいうと、現代音楽のほうがモーツァルトよりも簡単なところがある。モーツァルトではその場の響きというよりは、10分間とか20分間のなかで、ああ来てこう来て再現部でこっちの調に行く、みたいな組み立てがあるから、ちゃんと記憶を持続しなきゃならないし、音楽的能力が高くないと作曲家の企みがわからない。もちろん現代音楽でも作曲家はそう作っているんだろうけど、飯尾さんが言うように初めて聴くときにそれを追いかけるのは難しい。だから、現代音楽はここでこんな音がする、こんなことが起きてるって場当たり的な反応になりがちですよね。
それは……それでいいの?
それでいいと思う、僕は。
僕はそこがわかんなくて。自分にはわからないけどソナタ形式とかみたいな構造があるのにそれを追えていないのか、あるいは瞬間瞬間のおもしろさで聴き通していいのか、聴きながら疑心暗鬼になることがよくあるんですよ。そういう悩みは、みんなどうやって解決してるの?
あのね、僕もそうだと最初は思ってたんだけど、いろんな人に話を訊いたら違うってことがだんだんわかってきた(笑)。意外にそうでもない。
そうなの? じゃあ少し安心して聴こうかな(笑)
まあフェラーリのこの曲は、そもそも形式がないような曲なので瞬間瞬間を見ていくしかないですよね。
難解なリュック・フェラーリの前に、ポップなマイケル・トーキーを置いてあるでしょう。こういう辛いものと甘いものを一緒に食べるみたいなプログラムを、僕は「柿ピー・プロ」って呼んでいるんです。柿の種とピーナッツ、両方あるとおいしいんだけど、柿の種だけ食べ続けると辛くてしんどい。柿の種にはピーナッツをちゃんと50%くらい配合しておこうという親切心をこの選曲に感じる。
前半もそうだよね。《ジパング》は柿で、《群島》がピー。マイケル・トーキーがピーで、《ソシエテII》が柿。
で、4曲全部違った方向を向いているでしょう。だから、どんな人にとっても共感できるものとそうでないものが出てくる。
曲を選ぶ感覚がなんとも爽快ですよね。
オープンな感じがしますよね。いろんな種類の出会いが待っている公演だと思います。
(B)ハッピーなふたりのために
勝負デートに誘いたい
終演後に盛り上がりたい
ボーダーレス上等
8/22(月)「佐藤紀雄がひらく」ブルーローズ 〈単独者たちの王国〉めぐりあう声
- エベルト・バスケス(1963-):デジャルダン/デ・プレ(2013)
- ジャック・ボディ(1944-2015):死と願望の歌とダンス(2002/2016)
編曲:クリス・ゲンドール、フィル・ブラウンリー
《死と願望の歌とダンス》でぶっ飛ぶ!
8月22日の「佐藤紀雄がひらく」(ブルーローズ)は前半、後半1本ずつの2本勝負というプログラムです。
前半がエベルト・バスケスの《デジャルダン/デ・プレ》、後半がジャック・ボディの《死と願望の歌とダンス》。ジャック・ボディ作品は資料映像を拝見しましたが、とにかくぶっ飛んでますよね。
ぶっ飛んでます。これもポップというのか、なんというのかわからないけど、ジャンルに収まらないタイプの音楽ですよね。
曲としては一応、ビゼーの《カルメン》の再創造がベースにあって、そこにマオリの歌だとか、いろんな引用だったり、ステージ上の意表を突いた演出だったりが入ってくる。なんでもありのバラエティ・ショー風というか。
民族音楽、ポップ、クラシック、現代音楽などなどがぐちゃぐちゃに混ざっている。ここに森山開次のパフォーマンスが加わって、どんなことになるのか。
一曲目のバスケスはどうですか。《デジャルダン/デ・プレ》という曲名は、ヴィオラ奏者のデジャルダンと、作曲家ジョスカン・デ・プレのふたりを合わせたものなんだそうです。新鮮でみずみずしいサウンドだと感じます。
拍節感はわりとはっきりしてるんですよね。そのなかで、ギシギシした音が無窮動的に続いていく。とてもおもしろい曲だけど、ヴィオラはかなり力技ですよね。大変な曲だ。
形としてはヴィオラ協奏曲。今回は協奏曲でソリストががんばる曲がいっぱいありますよね。
そう、このヴィオラは甲斐史子さん。リンドベルイのピアノ協奏曲第2番を小菅優さんが弾いたり、リゲティのヴァイオリン協奏曲を神尾真由子さんが弾いたり、まあ、よくこれだけの人をブッキングできたなあ。
この日はすごく楽しい公演になると思う。バスケスは痛快で、カラフルで、ユーモアも感じられるし、気の利いた作品が並んでいる。
そっか、じゃあこれがいちばんデート向きだね。
うん、終わった後にふたりで話す話題に困らない。どんなタイプの人でも語りたいことが出てくるので、デートにはぴったりでしょう。
(C)危機を迎えたふたりのために
彼氏/彼女とケンカ中
実はそろそろ別れたい
やっぱり仲直りしたい
8/29(月)「板倉康明がひらく」大ホール 〈耳の愉しみ〉ウツクシイ・音楽
- ブルーノ・マントヴァーニ(1974-):衝突(2016)
- ゲオルク・ハース(1953-):ダーク・ドリームズ(2013)
- マグヌス・リンドベルイ(1958-):ピアノ協奏曲第2番(2011-12)
- クロード・ドビュッシー(1862-1918):海 (1905)
中二病マインドをくすぐる《ダーク・ドリームズ》
8月29日「板倉康明がひらく」(大ホール)は、まずはブルーノ・マントヴァーニの《衝突》から始まります。「衝突」と来たら、ふたりの不和ですよね。フフ。そしてゲオルク・ハースの《ダーク・ドリームズ》が来ちゃう。しかもリンドベルイのピアノ協奏曲第2番が、ラヴェルの《左手のためのピアノ協奏曲》にインスパイアされたという、ピアノの低音を使った非常に暗い曲ですよね。で、ドビュッシーの《海》に流れ込んでいくっていうと、まあ、ふたりはたぶん別れるのかな。
それって単にタイトルを追いかけてるだけじゃないですか(笑)。しかもコンサートを聴いて別れるってのはどうなのか。
・・・でもきっと別れるんですよ、《ダーク・ドリームズ》ですから!この中二感のあるタイトル、たまらないですね。
だから僕はこの曲がこの日のプログラムではいちばん楽しみ。
あ、そうですか。わりと飯尾さん、暗いんだ。
中二病マインドがくすぐられますね。もともとラトル指揮ベルリン・フィルが初演した曲でしょう。オーケストラの高機能アンサンブルを前提にして、そこで弦楽器中心で精妙なテクスチャーを作っていくのなんて、クラシックの聴衆にも受け入れやすい。こういう曲、都響はすごくうまいと思うんですよね。
モヤモヤとした響きからいろんな倍音が出てきて、楽想が展開しないままでニョロニョロと進んでいく。同じような気分が続くワンアイディアものですが、きれいな音ではありますよね。
映画音楽的なイメージも受けました。クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』っていう映画があったでしょう。夢と現実がテーマになった映画なんですが、《ダーク・ドリームズ》という題だけに、あの映画に出てきてもおかしくない。
こういう音響は、今の現代音楽を聴くうえで、ひとつの取っかかりになるかもしれないね。
これに続くリンドベルイのピアノ協奏曲第2番も、古典的な協奏曲のフォーマットで書かれているという意味では、聴きやすい曲だと思います。ちゃんとカデンツァまである。
リンドベルイ本人がピアノをあまり前衛的に使うのは得策ではないと言ってますよね。むしろ伝統的にピアノを鳴らすことのほうが魅力的だと。それは確かにそうだと思う。
ブルーノ・マントヴァーニの《衝突》は委嘱初演となるわけですが、この人の作風についてはどう思いますか。
彼はパリ・コンセルヴァトワールの学長で、その先入観からすると、典型的「おフランスな」サウンドを奏でそうなんだけれど、僕の知っている作品を思い出してみるとちょっと違う。むしろ今のフランスが持つ多国籍なところも包含するような、少しエキゾチックな香りのする作風です。フランスのエリートがきれいにまとめた、という感じではない。まあ、今回の曲がどんなものになるのか分かりませんが。
で、最後がドビュッシーの《海》。沼野さんがおっしゃったように、ふたりは別れるんですね。
そうだよ。《衝突》があって、暗い夢のなかに落ち込んで。《海》の最初、夜明けを迎えて一回いい感じに戻りそうになったけど、第3楽章でまた不穏な感じになる。もう相手と別れたい、そろそろ別れようかな。そんなふたりにぴったりです。
別れるふたりはいっしょにコンサートに来ないのでは?
LブロックとRブロックでひとりずつ聴くんですよ(笑)。
ふたりはケンカしているんだけど、でも《海》にはいろんな可能性があると思う。バッドエンドかもしれないし、ハッピーエンドかもしれない。第3楽章は「風と海の対話」。対話で和解が訪れることを願いましょう。
(D)お茶目な大人のために
仕事には遊び心をもって取り組みたい
凝り性な人
現代音楽の本格派名曲を聴きたい
8/25(木)「板倉康明がひらく」ブルーローズ 〈耳の愉しみ〉スバラシイ・演奏
- ピエール・ブーレーズ(1925-2016):デリーヴ1(1984)
- オリヴィエ・メシアン(1908-92):7つの俳諧(1962)
- ベネト・カサブランカス(1956-):6つの解釈 ―セース・ノーテボームのテクストによせて(2010)
- ジェルジ・リゲティ(1923-2006):ヴァイオリン協奏曲(1992)
名曲の条件は「なんちゃって」
8月25日「板倉康明がひらく」(ブルーローズ)はブーレーズ、メシアン、ベネト・カサブランカス、リゲティの作品が並びました。このなかではいちばん現代音楽らしいというか、この分野の古典的な名作が聴けるといえるでしょうか。
そうですね。ブーレーズ、メシアンの師弟コンビを聴いて、それから意外にたくさんCDが出ているベネト・カサブランカス、最後に鉄板のリゲティ。こういうことを言うと怒られちゃうかもしれないけど、僕はメシアンの「7つの俳諧」ってどこかギャグみたいな曲だと・・・。日本人が聴くと、ちょっと笑っちゃうでしょう。
あ、なるほど! だから僕、これいいなと思ったんだ。メシアンの饒舌さとかアクの強さが苦手な人間からすると、この《7つの俳諧》みたいに簡潔で笑いの入る余地のある作品って、ホッとするんですよ。
なんとなくわかる。つまり、メシアンのあのくどくて、いいかげん勘弁してくれっていうのと違って、《7つの俳諧》は我々にとってよく知っているものが出てくるわけじゃないですか。雅楽とか軽井沢とか。
ホーホケキョとか、バタくさい感じで鳴く。曲自体は古いんだけど、ニセ雅楽風だったりとか、メシアンの中心的な作品よりもある意味でずっと今風なのかなと。
だから、かわいい曲だと思うんです。こんな情景、少しおかしいんじゃないかとか言いながら楽しむ曲だと僕は思いますよ。
メシアンの《鳥のカタログ》をうっかり「あ、鳥の鳴き声なんだ、どんな爽やかな音楽なんだろう」と思って聴いて、裏切られた気持ちになってしまった人も、この曲だったら絶対大丈夫。
そうだよね。憎めない曲だ。
その点、ブーレーズの《デリーヴ1》はマジメな曲ですよね。
マジメですね。笑える曲じゃない。ただブーレーズの曲のなかではかなり拍がしっかりしていて、前にどんどん進んでくタイプの曲なんです。
決して聴きにくい曲ではない。
そうそう。それでメシアンが《7つの俳諧》で、ベネト・カサブランカスが《6つの解釈》でしょう。7と6。これって板倉さんはなにか掛けているんでしょうかね。
そうすると、リゲティのヴァイオリン協奏曲は5楽章ですよ?
お! それおもしろいね。7、6、5。これは隠された暗号だな・・・。
絶対違うと思う(笑)
リゲティのヴァイオリン協奏曲、僕はこれはリゲティの最高傑作のひとつだと思ってます。リゲティがずっと追求してきたことが全部この5楽章のなかに詰まってる。
傑作ですよね。この曲ってベルリン・フィルや日本のオーケストラでも定期演奏会で演奏される曲じゃないですか。1990年以降に書かれた作品で、オケの定期でくりかえし演奏される協奏曲って本当に限られている。
それと神尾真由子がソリストを務めるのが楽しみ。彼女がこれまでに弾いてきた曲とぜんぜん違うと思うんだけど、どう解釈するのか。現代音楽のスペシャリストではなく、クラシカルなプレイヤーが演奏するところに意味がありますよね。
これもやはりこの作品がクラシックの仲間入りをしてるっていうことなんだなと思うんです。だからどなたにでも安心してお勧めできる。
うん、リゲティのヴァイオリン協奏曲の魅力は、5つの楽章がそれぞれまったく違うキャラクターを持っていて、しかもその狙いが明確なところ。ピタッと5色の違う色合いがある。僕は勝手にリゲティを「ずれ」の作曲家と呼んでるんですけど、たとえばリズムがずれるとか、音程がずれるとか、音律がずれるとか、さまざまなずれが5つの楽章にわたって鮮やかに制御される。計算された調子っぱずれの面白さというかね。
この曲の終わるところが好きなんですよ。カデンツァがあって、それからとても短い終結部がありますけれど、あれってズッコケ調だと思うんです。日本語にあてはめるなら「なんちゃってー」。伝統的な協奏曲のフォーマットによりながらも、「なんちゃってー」がおしまいに来る。シリアスな曲に「なんちゃって」を添えるのは、今の時代における名曲の条件なんじゃないかと思ってるんです。
なるほど。たしかにリゲティって、「なんちゃって」の人ですよね。つねにどこかふざけてるし、嗤っている。ブラックなユーモアがあって、憎しみみたいなものがフワッと残る。気持ちのいい人じゃないですよ、絶対。
その斜めさ加減が今の時代に即している。つまり、この公演はオーソドックスなもの、本格派名曲を聴く日だと思うんです。
そうですね。名曲選っぽい。マジメなものと、どこかふざけたものが表裏一体となっている。お茶目な大人の音楽って感じがします。
そうそう、大人じゃないと「なんちゃって」は楽しめない。遊び心のある人に聴いてもらいたいですね。
(E)癒されたいあなたのために
日々の疲れを癒したい
温泉に浸かってリラックスしたい
美しい響きに包まれたい
テーマ作曲家 カイヤ・サーリアホ
8/24(水)室内楽(ブルーローズ)
- カイヤ・サーリアホ(1952-):7匹の蝶(2000)
:テレストル(地上の)(2002)
:トカール(2010)
:光についてのノート(2010)
8/30(火)管弦楽(大ホール)
- ジャン・シベリウス(1865-1957):交響曲第7番(1924)
- カイヤ・サーリアホ(1952-):トランス(変わりゆく)(2015)
- ゾーシャ・ディ・カストリ(1985-):系譜(2013)
- カイヤ・サーリアホ(1952-):オリオン(2002)
サーリアホはお風呂である
今年はフィンランドの作曲家カイヤ・サーリアホがテーマ作曲家に選ばれています。8月24日はブルーローズで《7匹の蝶》《テレストル(地上の)》《トカール》《光についてのノート》の4曲が演奏されます。8月30日は大ホールで、《トランス(変わりゆく)》と《オリオン》、それにシベリウスの交響曲第7番と、ゾーシャ・ディ・カストリの《系譜》が演奏されます。ともにサーリアホ特集ですから、こちらは2公演まとめて扱いましょう。響きの美しい作品が集められたなと感じます。
そうですね。響きに浸る楽しさじゃないかな、今サーリアホを聴くということは。
作品の題材からは、自然の要素が強く感じられます。蝶だったり鳥だったり光だったり。
光と響きの波にフワーッと浸かる、温泉みたいな感じがあるんですよね。ここで集められたサーリアホの作品はどれも2000年代の曲で、つまり最近の作品を聴くためのプログラム。我々が最初にサーリアホを知ったときはまだ20世紀で、かなりきつい音の作風だったんだけど、だんだんとホワーンとした温泉状の美しい音楽になっていった。それが今彼女が聴かせたい音楽なんだよね、きっとね。
そういう美しさという意味では、シベリウスの交響曲第7番が入ってくるというのもよくわかる。そのなかにあって、8月30日のゾーシャ・ディ・カストリの作品は、短い曲なんだけれど、若々しくてフレッシュなエネルギーを感じさせてくれます。
そうですね。すごく音響のバランスのうまい曲で、緻密でよくできている。ただ、少し優等生すぎる感じは持ったかな。でもサーリアホが選んだっていうのはよくわかります。
先日、メトロポリタン・オペラの新シーズンのラインナップを見ていたら、サーリアホの《遥かなる愛》が入っていたんです。今サーリアホは聴衆が保守的とされるメトであっても受け入れられる作曲家なんですよね。
うん。さて、サーリアホはどんな人が聴けばいいんですかね。
やっぱり癒しの要素がありますよね。響きの美しさに浸る楽しさですから。
だったら聴く温泉だね。温泉に浸かって、英気を養ってもらいたい。
大ホールと小ホールの違いはどこにあるんでしょう。
それは大浴場と小浴場でしょう。
大浴場のほうは体をうんと伸ばして大らかな気分で浸って、小浴場のほうは肌と肌が触れあうような親密な空間で安らぐ。サーリアホはお風呂なんですか(笑)。
サーリアホはお風呂である。うん、言い切った。
じゃあ、サーリアホは明日の英気を養いたい方に聴いていただきましょう。
現代音楽は難しくない!はウソ
今回の対談テーマは「新しい聴衆にこのフェスティバルに足を運んでもらおう」がテーマです。現代音楽のお客さんとクラシック音楽のお客さんって、それぞれ分断されている印象を受けることがあるんですが、本来、現代音楽とクラシック音楽は地続きの関係にあるわけですよね。だったら、まずはクラシックのお客さんを呼んじゃうのが手っとり早いんじゃないかと思うんです。
それは賛成なんだけど、一方でいくつかの作品は、ベートーヴェンやマーラーを聴いてる人よりは、むしろロックが好きとか、ジャズが好きとかっていう人のほうが親近感を持てるのかもしれない。ただ、僕がいちばんうんざりするのは「現代音楽は難しくないですよ、こんなにわかりやすいですよ」っていう宣伝の仕方。あれ、だいたいウソですよね。そりゃ難しいですよ。でも、それをいえばモーツァルトだって難しいといえば難しい。本当はぜんぶわかりにくい!
クラシックだってみんな作品に近づこうと努めながら聴いているわけですよね。音の複雑さでいったらバッハだって複雑。
ちっともわかりやすくなんかない。
僕はクラシックのCDでよく感心するのは、入門者向けに企画されたコンピレーション・アルバムなんです。よく「癒しのクラシック」とか「元気の出るクラシック」とか、あるでしょう。ああいう企画を安直だって批判する人もいるかもしれないんだけど、現実にはあれは新しいお客さんを呼び込むためにすごく機能している。
え? CD評をやってるとああいうのも送られてくるんだけど、ろくに聴いたことがないな・・・。そんなに売れるものなんですか。
売れます。たいていのシリアスな新録音よりよっぽど売れてる。そういう企画商品が利益を生んでるから、シリアスなアルバムが成立しているはず。で、こういったコンピアルバムから入ってきたお客さんの一部が、いずれシリアスなアルバムも聴いてくれるようになる。だったら、コンピアルバムみたいにシチュエーション別に曲をオススメするコンセプトで、現代音楽のコンサートを紹介するのも可能なんじゃないかって思ったんです。
なるほど。しかしああいうCDって売れてたのか。不覚にも全然知らなかった。
今回のプログラム全体については、どんな印象を受けましたか。僕は鳥とか海とか、光、蝶、島といったように、自然を題材とした曲がたくさんあるなと感じました。たまたまですけど、5月に開かれた音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」のテーマが「ナチュール 音楽と自然」で、メシアンの《鳥のカタログ》全曲だとか、古楽から現代音楽に至るまで自然を題材とした作品がたくさん演奏されました。だったら「ラ・フォル・ジュルネ」に来たお客さんが、「音楽と自然」のモダン・バージョンとしてこのフェスティバルに足を運んでも、きっと楽しめるんじゃないかと思うんですよ。
なるほどね。僕は全体を見渡して、意外にこれは現代音楽っぽくないかもっていう気がしました。これは褒め言葉です。えーと、正確にいえば、現代音楽の「業界っぽさ」があまりないということですかね。かなりおもしろくなる気がします。