SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
vol.2「一歩踏み出すか、踏み出さないかで人生は大きく変わる」 車いすバスケットボール 豊島 英選手
車いすバスケットボール日本代表、そして日本選手権10連覇中の強豪チーム「宮城MAX」でともに主将を務める豊島英さん。小さな身体と寡黙なパーソナリティの裏に秘めた、車いすバスケへの誰よりも熱い思いと「挑戦」への信念とは。
── 「挑戦」という言葉から、豊島さんはまず何を思い浮かべますか?
そもそも「挑戦しないと何も始まらない」ということでしょうか。1歩踏み出すか踏み出さないか、その決断はバスケのみならず人生においてのあらゆる局面でとても大事なことだと感じています。
── キャリアにおいてそれを最も実感したのはどのようなときでしたか?
僕にとってはバスケを始めたことがすでに挑戦だったのかもしれませんが、当初の記憶はあまりないので何とも言えません(笑)。その後、福島から仙台に移って強豪の宮城MAXに移籍したことや、そのために職場を変えたことなどは大きな挑戦だったかもしれませんね。ただ、こうしてバスケをプレーし続ける中で自分にとっていちばん重要なことはやはり日本代表で活躍すること。そのために何をしなくてはいけないかと考えたときに、やっぱり道を切り開きながら挑戦する道を選んでいくしかない。だから今現在も、常に実感し続けていますね。
── これまで、挑戦する中で心が折れそうになったり、挫折を味わったことは?
車いすバスケをプレーする環境を求めていくことはすごくポジティブなことなので困難に感じたことはありませんでしたが、東日本大震災だけは非常に厳しく、難しい経験でした。一時は競技を辞めざるをえない状況にまで追い込まれたこともあったので、そこは自分としてもふんばった時期かなと思っています。
── 困難を乗り越える上で、何が原動力になったのでしょうか?
「パラリンピックに出たい」という思いの強さが大前提としてありつつ、学生時代に練習の送り迎えをしてくれた人、転職を後押してくれた人たちに対して自分が何ができるのかと考えたときにやっぱりプレーし続けることしかないなと思ったんです。
── 東京パラリンピックは豊島さんにとって人生で最も大きな挑戦になると思いますが、本大会までの1年と数ヶ月、どのようにバスケと向き合いたいですか?
何より個のクオリティを高めることでしょうか。日本代表はチームとして前回大会のリオのときよりも着実にレベルアップしていますし、世界と対等に戦える自信もついてきました。ただ、最後にものをいうのは選手ひとりひとりの力なんです。だから僕自身はもちろん、チームメイトたちにも、時間の有効な使い方などをしっかりと意識しながら練習に取り組んでほしいです。
── 日本代表の主将として、ベテランから若手まで個性派揃いのチームをどのようにまとめているのですか?
そもそも僕自身が何かに縛られるのが好きではないので(笑)、代表経験が豊富なベテランも、若手も、誰もが伸び伸びと自分の力を発揮できる環境にしたいですね。とくに若い選手たちには自由な感覚を大切にしてもらいたいです。それがチームに勢いをもたらすことも多いので、ベテランがうまくバランスを取りながらしっかり若い力をサポートしていければと思います。
── 本大会に向けての手ごたえは?
メダルを争えるところまでは来ていると思います。あとは負ければ終わりの決勝トーナメントで、いかに自分たちのバスケができるか。そこがポイントなので、大事な局面で気負わず力を出し切れる勝負強さを、この1年で磨くことができればメダル獲得にぐっと近づくのではないかと思っています。
── 豊島さん自身は、「東京」でどのようなプレーを見せてくれますか?
スピードを生かしたスティールからのレイアップ、ディフェンスをかいくぐって抜け出すプレー、相手のハイポインター(障がいの程度が軽い選手)を抑えるディフェンスなど、自分の持ち味を存分に発揮して勝利に貢献したいですね。
PROFILE
とよしま あきら●サントリー チャレンジド・アスリート奨励金 第1〜2期対象
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」所属
車いすバスケットボール日本代表
1989年2月16日生まれ、福島県出身。生後4ヶ月で患った髄膜炎の後遺症により車いす生活となり、中学2年時に車いすバスケを始める。19歳で仙台の強豪・宮城MAXに加入して以来、昨年までの日本選手権10連覇に貢献。日本代表では2012年ロンドン、2016年リオと2大会連続でパラリンピックに出場中。
Photos:Takemi Yabuki[W] Composition&Text:Kai Tokuhara