古代ローマではワインの水割が一般的な飲み方だった。古代エジプトでは、ビールにハチミツやショウガを加えていた。紀元640年頃の中国(唐)ではワインに馬乳を加えた乳酸飲料が飲まれていたと伝えられている。
古くから人間は酒に何かをミックスして味わっていた。いまのような原料品質や製造技術の科学的見地など備わっているはずもなく、酒自体がストレートで味わうに適した酒質に達していなかったせいでもある。また風味の補正とともに、加える材料によっては劣化を防ぐための保存手段でもあっただろう。
9世紀のドイツでは大鉢(ボーレ)に白ワイン、薬草、果物、砂糖を加えたものが飲まれていた。
12~17 世紀のヨーロッパでは冬季の寒冷化が起こり、ホットドリンクが盛んに飲まれるようになる。ワインに関していえば、大きな鍋に薬草とワインを入れ、火で焼いた剣を鍋に入れて温めて飲んでいた。中世はミルク割の時代ともいえる。つまり人は昔から身近な営みの中にある材料を酒にミックスしていた。
1630年頃、ドイツのボーレ(英語=Bowl /ボウル)に似たカクテルがインド人によって生まれた。それがパンチ(Punch)で、ミクスト・ドリンク普及のひとつのきっかけとなる。
蒸溜酒のアラックをベースに、砂糖、ライム、スパイス、水の5つの材料を大きなパンチ・ボウルに入れてミックスしたもので、注ぎ分けて飲む。パンチは「5つ」を言うインド語のパンジ(Panji)が、英語に転訛されたものだとされる。
これがインド在住の東インド会社のイギリス人(1658年に彼らが考案したという説もある)に好まれ、やがてイギリス本国へ伝わり、家庭に入り込む。ベースの酒をワインやラムといったものに代え、レモンやライム、その他のスパイスなどを加えてアレンジして、パーティーで供されるようになった。そしてインドに比べて寒いイギリスでは温めたホット・パンチが主流となる。
現代のカクテルとの大きな違いのひとつが温度。現在、当たり前にように飲んでいるキリッと冷えて冴えた飲み口のカクテルは無いに等しい。氷というものは天然のものであり、貴重、稀少であったからだ。
冴えた飲み口は19世紀半ば以降の人工製氷機の登場を待たねばならなかった。これが欧米に普及し、氷が容易に入手できるようになり、シェークやステアという技術と結びついて、冷たいおいしさを体感できるようになる。そしていまスタンダードといわれているカクテルの多くが、19世紀半ば以降から20世紀初頭に誕生している。
カクテルを大いに発展、進化させたのはアメリカ。この多民族の若い国は古いしきたりにとらわれることもなく、飲酒に関しても新しい飲み方をおおらかに受け入れ、むしろ積極的だったといえる。
とくに19世紀後半からはマンハッタン、マティーニといったカクテルが人気となる。
アメリカ的感覚が世界に強烈に発信されたのは禁酒法の時代(1920~1933年)。官憲から逃れて地下のスピークイージー(Speakeasy /もぐり酒場)で営業することに嫌気がさしたバーテンダーたちが、ヨーロッパへと渡った。これによりアメリカン・スタイルのバーがグローバル・スタンダードとなる。ロンドンやパリでもアメリカン・バーでカクテルを嗜む人が増えていった。
第二次世界大戦後はフランスやイタリアもカクテルを発信しはじめる。代表的なものにフランスではキール、イタリアではベリーニ。ワインのお国柄らしい柔らかな味わいのカクテルを生み出した。
1950年代以降、カクテルの世界は急速な広がりをみせる。とくにアメリカでは氷をシャーベット状にしたフローズン・カクテルが知られるようになり、ウオツカ・トニック、ワイン・クーラーといった甘味がありながらライト感覚な風味が人気を呼ぶようになる。それが70年代により拍車がかかり、ウオツカ、ジン、ラム、テキーラなどのホワイトスピリッツのブーム(白色革命/ホワイト・レボリューション)が起こり、それらをベースにした口当りのいいカクテルが主流となる。
80年代はヘルシー、ダイエットといった社会的風潮と結びついてジュースやソーダ割のカクテルが流行し、ライト化がより顕著になり、世界的な傾向ともなる。
90年代に入るとさまざまな果実の流通とともに、新しいタイプのフルーツ・リキュールが生まれていく。またフレッシュ・フルーツを使ったカクテルも世界的に流行する。
21世紀の現在はこうしたフレッシュでフルーティーな味わいとともに、スタンダード・カクテルも変わらぬ人気を保っており、多彩な風味を堪能できる幸せな時代といえる。
日本は明治の欧風化の波に乗り、カクテルも渡来するが、一般市民が実際に口にするようになったのは街にバーが誕生していった大正時代からになる。それまでは鹿鳴館や横浜といった海外航路の船が出入りする港町のホテルなど、限られた人たちが集まる場所での、特別な酒であった。
昭和に入り、東京、大阪をはじめとした大都市でバーが続々と誕生したが、バーでカクテルを嗜むのは富裕層に限られていた。その灯も太平洋戦争により消える。
戦後、1950年にトリス・バーが誕生した頃より再びカクテルも注目を浴びる。しだいに酒類も豊富に揃うようになり、急速にカクテル・ファンが拡大していく。また音楽や映画と同じく、カクテルもアメリカの流行の影響を受けながら日本人の舌に馴染んでいく。とくに60年代半ばから酒場での時間を愉しむ女性が増え、カクテル人気に貢献する。
70年代はアメリカの影響を受けて、ライト感覚な味わいが人気となるが、海外旅行ブームの到来によりトロピカルカクテルがたくさん紹介されもした。
80年代以降はスタンダードカクテルとともにソーダやトニック、ジュース割といったシンプルなカクテルが愛され、90年代後半から現在はそれにフレッシュ・フルーツを使ったカクテルが加わり、多彩な風味を満喫できるようになった。
特筆すべきは日本のバーテンダーの高い技術とサービス。名店が生まれ、名バーテンダーが数多く輩出されており、洗練された技術としなやかな接客は世界的にみてもトップクラスといえよう。