バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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トラフィック・レボリューション

19世紀の間、東部大都市の移民人口は増えつづける。20世紀初頭、シカゴは人口の87%、ニューヨークは80%を移民が占めるようになっていた。この間、外国人の増加と比例するようにサルーンの数も増えていく。禁酒運動が盛り上がりつつあるなか、皮肉にもシカゴ、ボストン、ニューヨークといった産業都市ではソーダスト・サルーンが生まれつづけた。

とくにシカゴ。19世紀末には、この一都市のサルーン店舗数は、南部15州にあったサルーンの数を上回っていたという。

ただし、こうしたサルーンに集う客は近隣に住む労働者階級である。アメリカという国が急速に発展していくなかで、中産階級には違うかたちでの飲酒があった。中産階級についてはまたの機会に言及する。

労働者階級は共同住宅の狭い仕切られた空間に家族全員がすし詰め状態で暮らすしかなかった。しかも長時間労働、低賃金。居住環境も労働条件もすべてが厳しいものだった。

プライバシーのない共同住宅から抜け出し、寛げる場所がサルーンである。同じ移民という立場、あるいは同じ民族、または同じ職場。似た境遇の者たちが集まってゆったりと会話する。皆、そんなにお小遣いを持っているはずもなく、エール(ビール)をチビリチビリとやりながら時間をつぶすのだ。酔いを求める飲み方ではなかった、と書かれた文献がある。

ときに仲間意識を高めるために贅沢をすることがあったらしい。ライウイスキーをボトルで買い、それをみんなで飲むのである。慎ましく、温かい姿があった。奢り(おごり)合いという儀式的なものもあった。新参者が挨拶代わりにボトルを買い、それを皆でまわし飲みする。また常連同士で、今度は俺の番だと、ボトルを皆に振る舞うこともあった。

一方で、こうした儀式はドライ派(禁酒派)からの非難の的となる。サルーンの仲間たちは、これこそがすべての市民が対等、平等であることの証であり、酒場は民主主義の象徴だ、と反論した。

東部で根強い人気を誇っていたライウイスキーを彼らはこころの平穏のために、そして友情の証として飲んでいたのである。もし19世紀のアメリカにタイムスリップできるならば、東部のサルーンで彼らと一緒に飲んでみたい。ウイスキーを奢りたい。

21世紀のライウイスキー「ノブクリークライ」をわたしは持参するだろう。彼らはきっとタフでありながら洗練された味わいに驚嘆するはずだ。コクのある豊かで複雑味のあるテイストに癒されることだろう。

歴史的偉人たちだけがいまのアメリカを築き上げたのではない。移民たちがサルーンでグラスを傾けた時代があったからこそ、いまのアメリカがある。

痕跡はソーダストとともに掃き消されても、彼らの生きた時代はサルーンの名とともに語り継がれていく。

(第57回了)

for Bourbon Whisky Lovers