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アメリカン・ショービジネス

ユージン・サンドウの歩みはどうだったか。彼はブロードウェイでもショーをおこなったが、優秀で博学なビジネスマンとして欧米で活躍した。スプリング・ローデッド・ダンベルとラバー・バンドによる負荷抵抗トレーニング・メニューを考案。理論解説と開発したトレーニング器具を使って家庭で身体を鍛えられるよう、通信販売システムを活用して普及させるという功績で名声を得る。

イギリス・ロンドンにフィジカル・カルチャー・スタジオを開設してもいる。いまでいうトレーニング・ジムである。そのロンドンのロイヤル・アルバートホールで1901年、グレート・コンペティション、世界初のボディビル・コンテストを開催した。その後もさまざまなエクササイズを開発。さらにはいくつかの著書を世に出し、健康雑誌の出版も手がけ、ココア飲料の販売で健康効果を謳ったり、と事業を拡大させていく。

ただし1925年、58歳で生涯を終えている。泥にはまった乗用車を押した直後、脳卒中に倒れたという。真偽は定かではないが、ボディビルによるフィジカル思想を伝え、世界征服まで視野に入れていたらしい。サンドウが長寿であったなら、栄養面とヘルシーなライフスタイルの基礎研究はもっと早くに発展していたのではなかろうか。

アメリカのショービジネスから名声を得はじめたサンドウは発明王エジソンとも親交があり、エジソンのスタジオで撮影された彼の肉体美の映像が残されているらしい。


さてジークフェルドとともにブロードウェイを語るのに忘れてはいけない名がある。

タイムズスクエアから5分ほどの距離になるだろうか、1913年に建てられたベネチアン様式の美しいシューバート劇場、これをつくったユダヤ系でリトアニア出身のシューバート3兄弟だ。かつてリトアニアは異教徒の避難場所といわれた歴史もあり、この兄弟の祖先ももともとはドイツ(プロセイン)出身なのではなかろうか。

1890年代末からニューヨークのさまざまな劇場で興行をおこなっていたこの兄弟は、プロデューサー、ブッキング・エージェント、劇場主らが組織していたシアター・シンジケートに属さない独立系の存在だった。20世紀に入るとそのシンジケートと対抗しながら全米各地の劇場を所有するまでになり、シンジケートを崩壊させるまでになる。

1920年代には全米に100以上もの劇場(現在は約20)を所有し、ショービジネス界に多大な影響力を持つようになった。劇場主、プロデューサーとして活躍した彼らもまたアメリカン・ショービジネスのベース、ミュージカル黄金期を築き上げた人物である。

20世紀、アメリカの世紀の幕開き。世界に向けてアメリカン・ショービジネスという新たな幕も上がる。疲れを知らないかのように躍動した若い国のエネルギーをいま、原点回帰から生まれたクラフトバーボンが伝えてくれている。

(第42回了)

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