ドイツ系移民でアメリカのレビュー界の草分け的存在、フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニア。彼によってアメリカで名声を得ることになる同じくドイツ系の“近代ボディビルの父”ユージン・サンドウ。前回から引きつづきブロードウェイ黎明期(れいめいき)の話をしよう。
彼らのような濃いキャラクターにはクラフトバーボン「ベイカーズ」のタフな味わいがふさわしい。ビーム社の貯蔵庫上段、温度が下段よりも若干高く、湿度が低い場所で7年超の樽熟成を経たものだ。上段のこの環境は原酒の樽材を通しての呼吸が活発で、熟成は早まり、アルコール度数が高まる。
「ベイカーズ」のアルコール度数は107プルーフ(53.5%)。樽香が芳しく、焙ったナッツのような味わいと甘いコクのあるパンチの効いたバーボンだ。では前回からのつづきを「ベイカーズ」を味わいながらお読みいただきたい。
フローレンツ・ジークフリード・ジュニアは1893年にシカゴ万博に肉体美と怪力パフォーマンスを披露しにやってきたユージン・サンドウと組んで、ブロードウェイはもとより怪力ショーの全国巡業をはじめる。大成功を収めながらも、2年という期間でふたりはそれぞれの道を歩むことにした。
サンドウとの巡業で興行のマネージメントを身につけたジークフェルドは、プロデューサーとしてブロードウェイに落ち着く。そして彼がショービジネスを生んだといわれるまでの活躍をする。
1907年、初のレビュー「ジークフェルド・フォーリーズ」をプロデュースし大当たりする。フランス風の歌とダンス、喜劇を巧みな構成で展開したレビューは1931年までつづくロングランとなった。これが現在に通じるミュージカルのベースであるとも言われている。
彼は興行というビジネスを発展させた。ステージで世界の文化を融合させ、スペクタクル性の高いアメリカ流のレビューを確立していく。日本では日劇ダンシングチーム、そして宝塚歌劇団のレビューなどが影響を受けた。
ジークフェルドは人材発掘の才能もあり、彼の舞台から数多くのスターを輩出した。しかしながら彼自身は1929年の世界恐慌のあおりを受けて収益が上がらなくなった状況下、1932年、65歳で病に倒れて世を去った。