アメリカはヨーロッパにしてみれば辺境の地だった。しかも遅れて誕生した国家でもある。ところが19世紀半ば以降、とくに南北戦争後は産業国家として驚異的な急成長を遂げた。
広大な国土に豊富な資源。そこに科学技術、機械文明を発達させる。止むことのなく流入するヨーロッパからの移民たちが大きな原動力となった。いつの間にか生産力ではイギリスを凌ぎ、20世紀初頭には世界の舞台で大きな力を発揮するようになる。それゆえエリス島に到着する移民の数は増えつづけた。
1900年のニューヨークの人口は約350万人。多数派は23%のドイツ系移民。その他はアイルランド、イタリア、フランス、スペイン、ロシア、ポーランド南部からチェコにかけてのボヘミア、北欧、またヨーロッパ各地からの多くのユダヤ系、そしてアフリカなど、とにかく人種は雑多である。ドイツ系を含めてこれらの地からの移民が人口の80%を占めていた。そこへ、20世紀に突入するとカリブ海圏からの移民が加わる。
エリス島はさまざまな民族衣装を纏った人たちであふれた。そして、ニューヨークにはアメリカ人はいない、とまでいわれるようになる。ここでのアメリカ人とは、建国前からのイギリス系、つまりアングロサクソン系の末裔のことを指している。
100年以上の時を経た21世紀初頭のいま、アメリカの人口の90%は19世紀末から20世紀初頭の移民たちの末裔であるといわれている。エリス島に到着した人々たちを含め、多様な人種が、いかに20世紀のアメリカを支えたかを今後は語っていくことになる。
さて、忘れてはいけないのは、18世紀末からケンタッキーでウイスキーをつくりつづけているビーム家のように何世紀、何代もつづく家系もあるということだ。ウイスキーづくりだけでも7代目。祖先はそれ以前にアメリカに渡ってきているのだから、まさに由緒正しき家系である。
そのビーム家。19世紀末からは4代目のジェームズ・B・ビームの時代になっていた。いちばん難しい時代に当主兼マスターディスティラーとなった。
バーボンウイスキーは伸張しつづけてはいたが、軽快なライ風味のカナディアン・クラブの登場によりカナディアンウイスキーが台頭するようになり、それまで牽引していたライウイスキーに翳りがではじめる。そして禁酒運動の高まり。1914年にはじまる第一次世界大戦の戦争ヒステリーによって運動はより過激になり、ついには禁酒法へとつながっていく。
4代目は受難の時代を生き抜くことになる。そしてライウイスキーは禁酒法が打撃となり、20世紀半ば過ぎには一気に衰退していく。
バーボンウイスキーメーカーでありながら、ビーム一族は衰退してもライウイスキーをつくりつづけてきた。その実績が21世紀に「ノブクリーク ライ」という傑作を生んだ。このライウイスキーはビーム家の不動の精神を物語る。
(第39回了)