バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

20

クール

1955年3月5日。バードランドというチャーリー・パーカーの愛称にちなんで名付けられたジャズ・クラブでのステージがふたりの最後となる。ドラムはアート・ブレーキー、ピアノはバト・パウエル、トランペットはケニー・ドーハム、そしてミンガスとバードのメンバーだった。


1週間後、バードのよき理解者で、ジャズ界のパトロンとして有名だったニカ・ロスチャイルド夫人のアパートでバードは逝く。心臓発作だった。1955年3月12日。享年34。若いまま、駆け足で去っていってしまった。

4月2日にカーネギー・ホールで追悼コンサートが開かれた。真夜中から午前4時までというバードが最も気に入っていた時間におこなわれたにもかかわらず、2,700人もの観客で埋め尽くされ、外にはあふれた何百人ものファンがいた。

オープニングはレスター・ヤング。そしてサラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントン、パール・ベイリー、ビリー・エクスタイン、サミー・デイヴィスJr、ヘイゼル・スコット、レニー・トリスターノ、スタン・ゲッツなども出演した。

名声が不動になるまでバードを評価しなかった音楽出版界は、こぞって感動的な追悼文を掲載する。ビバップの世界を全速力で駆け抜け、若くて革新的であったこの偉大なアーチストへの称賛を誰もが惜しまなかった。

現在でもアメリカのジャズ批評家たちは、その歴史を語る上で欠かせない人物としてルイ・アームストロング、デューク・エリントン、そしてクールな演奏と特異な人間性でジャズ界をリードしたチャーリー・パーカーの名を挙げる。

いまを生きる我々は、世界的評価の高いノブ クリークを味わいながらバードの音色を聴き、彼の功績を讃えよう。


バードが息を引き取った瞬間、ニカ夫人は天地も裂けんばかりの大雷鳴を聞いたという。彼の死から数日経ち、マンハッタンの地下鉄やビルの壁のあちこちにファンが落書きをする。多くが“BIRD LIVES !”と書かれていた。4月2日の追悼コンサートでは、バードが作曲した『ナウ・ザ・タイム』を演奏していると、天井から一枚の白い羽が舞うように落ちてきたという。

(第20回了)

for Bourbon Whisky Lovers