第17回「ビバップ」からのつづきです。
ジャズ界の伝説的プレーヤー、バードことチャーリー・パーカーはアメリカ中央部に位置するカンザス州カンザスシティ郊外に1920年8月29日に生まれた。つまりアメリカ中に禁酒法が施行された年に誕生している。
特異な時代に少年期を過ごしたバードではあるが、カンザスシティは禁酒法下であっても店を閉めたクラブやキャバレーはまったくなく、不況もなんのその、毎夜各店でジャズライブが繰り広げられ、ミュージシャンたちにとっては天国のような街だったという。
にわか勉強のわたしは混乱する。カンザス州は1881年に早々と禁酒法を採択した州で、禁酒を解いたのは1948年と遅い。しかも21世紀の今日も州内30近い郡がドライカウンティであり、それぞれにアルコール規制を設けている。それなのにバードの少年時代の酒場の活況はどういうことなのだろう。
カンザスシティという街もミズリー川に合流するカンザス川によってミズリー州とに分割されている。MLBのカンザスシティ ロイヤルズの本拠地であるミズリー州カンザスシティのほうは、えらく近代化的な大都市である。
そんなこんなで、混乱することばかりだ。とはいえ、きちんとした史的検証は誰かがやってくれているはずだ、いずれわかるだろうと他力にまかせ、心地よくビバップに酔いしれることにする。相手をしてくれるのはジムビーム ミスト。グラスにクラッシュドアイスをいっぱいに詰めてジムビームを注ぎ、オレンジピールの爽やかな甘さを添えよう。
クールな味わいがバードのアルトサックスとシンクロする。
さて、バード10歳の頃、家族で市内に移り住んだのも束の間、父親は家を飛び出してしまい、彼は母親の手で育てられる。住まいは黒人ゲットーにあった。禁酒法をものともしないナイト・クラブ街とは目と鼻の先の距離だった。彼はしだいに学校へ通わなくなる。夕方から朝方まで家の近所をぶらつきながら、街にあふれるジャム・セッションを聴くことに夢中になった。この街は商業スタイルに毒されない特有のジャズ・スタイルを生み出していた。
優しい母親は45ドルの中古のアルトサックスをバードに買い与える。1898年パリ製。輪ゴムやセロファンテープであちこちが止められたひどい代物だった。それでも彼にとっては何ものにも代え難い宝物になった。