狂乱の20年代の世相、大都市の発展、禁酒法とギャングによる組織犯罪の拡大など、時代背景からくるイメージを鮮烈に描写したからこそ、ハメットはパルプ・ジャングルの中で主導権を握ることができたと言われている。
これは彼の経歴に依存する部分が大きい。
21歳から2年間、ハメットは全国的規模の名高いピンカートン探偵社の調査員として各地を渡り歩いた。犯罪社会のスラングを自由に駆使した粗野なほどパワフルな文章は、元探偵の鋭い目を通して描いたものだ。
1921年に彼は結婚し、サンフランシスコに定住。翌年にはピンカートン社を辞め、宝石店のコピーライターの職を得ながら『ブラック・マスク』に小説を送るようになった。
ところがハメットと並んでハードボイルド小説の祖と評価されているレイモンド・チャンドラーの場合はかなり様子が異なる。
チャンドラーはロサンゼルスの海岸を妻のシシーとドライブしながら、夜の読書のためにパルプ雑誌を買い求めることがままあった。安くていつでも買え、読んだら捨てられる、という理由だったという。その彼が突然、パルプ・ジャングルへと足を踏み入れることになる。
チャンドラーは経済的な問題に直面する。酒好きと女性好きが絡み合い、44歳で石油会社をクビになってしまう。もともと詩人になりたかったこともあって、遅まきながら作家への道を歩もうかと、ふと考え出す。そこで目に止まったのが、パルプ雑誌だった。こういう雑誌に作品を書いていけば、原稿料を頂戴しながら小説の勉強ができるかもしれない、というあまり感心しない動機から彼の作家人生ははじまっている。
ところが最初の原稿が幸運にも活字になってしまう。5ヵ月をかけて書き上げた原稿が『ブラック・マスク』に認められたのだ。180ドルという原稿料を手にすることができた。そこからチャンドラーは徹底的にハメットの研究、分析をし、自分の世界を創造することに励んだ。出世作誕生には5年を費やしている。
1939年、作品名は「大いなる眠り」。ハードボイルド小説の私立探偵の中でも最も知名度の高い男、フィリップ・マーロウのデビューだった。チャンドラー自身はそのとき、50歳をすでに超えていた。
マーロウの語るセリフから、チャンドラーの本音が読み取れるものがいくつかある。必要に迫られてパルプ・ジャングルに入り込み、成功した作家のつぶやきである。「大いなる眠り」に出てくる警句のひとつ。
“You can hangover from other thing than alcohol. I had one from women.”
意訳すると、二日酔いはアルコールのせいばかりとは限らない。わたしの場合、女性だったこともある。
このセリフに、手にしたロックグラスの中のジムビーム ブラックは、笑みを見せたかのように瞬間煌めいてみせた。
(第13回了)