主催公演

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク
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ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2021 
大和証券グループ Presents 
リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ムーティとウィーン・フィルの50年

石戸谷結子(音楽評論)

 「私たちは世界中の聴衆と繋がっているのを感じます。ですから世界中でこのコンサートを観てくださる皆さんに、美しい音楽だけでなく、“希望と平穏への想い”をお届けしたいのです」。
 コロナ禍の中、無観客での演奏を余儀なくされた2021年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート(NHKが衛星中継)。公演前日に全世界に向けて行ったオンライン会見で、ムーティはこう語りかけた。さらに、コンサートの途中では、恒例の新年挨拶の代わりに異例の演説を行った。
 「音楽は歓びや希望、平和、兄弟愛、そして愛を皆さんにお届けすることが出来ます。音楽家にとって、音楽は使命です。何の使命か。それは社会をより良いものにするという使命です。より良い社会にするため、音楽という文化は欠かすことのできない要素なのです」
 全世界がかつてない厳しい状況に立たされているなかで、社会における音楽の重要性を強く訴えた。これこそが、まさに「信念の人」リッカルド・ムーティの真骨頂なのだ。

©Wiener Philharmoniker / Dieter Nagl
2021年1月 ニューイヤー・コンサート

 2021年7月28日に、ムーティは80歳を迎えた。さらに今年はウィーン・フィルにデビューしてから50年目という記念の年でもある。1971年の7月、30歳のムーティはザルツブルク音楽祭にウィーン・フィルを指揮してデビューを果たしたのだ。曲はドニゼッティの『ドン・パスクワーレ』だった。ウィーン・フィルとムーティを出合わせたのはヘルベルト・フォン・カラヤンであり、その10年後にはカラヤン自らがムーティに電話し、『コシ・ファン・トゥッテ』の指揮を依頼したこともあった。以後長きにわたり、ムーティはザルツブルク音楽祭に毎年のように出演し、ウィーン・フィルとオペラやコンサートを行い、折にふれてカラヤンへの敬意も表明してきた。
 「ウィーン・フィルとの共演は、私の人生のうちで最も大切なものであり、オーストリアは私にとって第二の祖国になった。音楽ばかりでなく、人間関係も培われていった。このオーケストラは私がスカラ座を去ったばかりで難しい立場にあったときも、私の傍らにいてくれた。ウィーン・フィルは私にとって、まさに“運命の”と呼ぶにふさわしいオーケストラである」(『リッカルド・ムーティ自伝 はじめに音楽 それから言葉』(音楽之友社刊・田口道子訳)より。途中、中略あり)。

© Historic Archives of the Vienna Philharmonic
1992年 ウィーン・フィル150周年を記念したガラ・コンサート

 日本との繋がりで言えば、サントリーホールは、1999年よりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を招聘し、「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン」を開催してきたが、99年3月の来日公演を指揮したのもムーティであった。ムーティがウィーン・フィルと初来日したのは1975年で、カール・ベームと一緒だった。以来これまでに数え切れないほど、ムーティの演奏に接することができた。また過去3度にわたってインタビューするという素晴らしい機会にも恵まれた。走馬灯のように想い出が甦るが、家族への愛を語り「独裁者だって思っている人がいるかもしれないけど、本当はそうじゃないんだ。フレキシビリティはあるのです」という言葉や、「指揮者は後ろ姿が大事。聴衆にいつも背中を見せているのだから」と、素顔を垣間見せてくれたことが強く印象に残っている。さらに「ヴェルディの演奏に命を賭ける!」と力強く明言したことも。「モーツァルトは私の人生の一部です」と語ってくれたこともある。

1999年 サントリーホールがウィーン・フィルを招聘し開催した第1回目の『ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン』に登場

 1995年にザルツブルク音楽祭で、ムーティが指揮する『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』を観てから、2018年の『アイーダ』まで、ほぼ毎年ザルツブルクに通い、ムーティ&ウィーン・フィルのオペラとコンサートを聴いてきた。ムーティを聴くたび、その緊密で精悍で、しかもよく歌うダイナミックな演奏に深く魅了されてきた。
 ムーティは今年のニューイヤー・コンサートの前にNHKが行った番組放映のための単独インタビューで、ウィーン・フィルとの共演が自らの演奏に与えた影響について、次のように語っている。
 「ウィーン・フィルは私の音楽人生の一部です。ウィーン・フィルがなければ、私は異なった音楽家になっていたでしょう。彼らからウィーン音楽の典型的なフレージングを学びました。また多くの音楽的なアイデアを習得しました。私にとって”ウィーン・フィルの音楽の作り方”が、まさに音楽の理想型なのです」

©Wiener Philharmoniker / Dieter Nagl

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