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全ゲノム情報を手に入れたことによって、ビール酵母中に存在する遺伝子情報を容易に取得することができるようになりました。これを用いてビール酵母に特徴的な遺伝子の機能を解析すれば、ビール酵母の発酵特性を与えている遺伝子群を推定することが可能です。さらに、ビール醸造に寄与している遺伝子群を特定し、その制御メカニズムを解き明かすことによって、美味しいビールをより安定に生産するための手がかりを得ることができます。特に、S.cerevisiaeとその近縁種との自然交雑によって生じたビール酵母は、S.cerevisiaeを祖先とする上面発酵酵母には存在しない、もう一方の祖先由来の遺伝子セットをもっています。下面発酵酵母だけがもつそれらの遺伝子が、下面発酵酵母特有の性質を与えていることが考えられます。
ビールの鮮度を損なう最も大きな要因のひとつが「酸化劣化」であり、ビール中のさまざまな物質が酸素と反応することによって、好ましくない味や香りが生じてしまいます。
これを防ぐためには、発酵環境、容器内の酸素濃度を低減させ、酸化のリスクを抑えることが有効だと思われますが、そのような条件下では酵母の活性も低下してしまうため、低酸素濃度と良好な発酵を両立させることは非常に困難です。このため、酵母の活性を保ちつつビールの酸化を防ぐ方策が必要です。
亜硫酸は非常に還元力が強いことから、食品・飲料や医薬品などの幅広い分野で「酸化防止剤」として使用されており、ビール中の亜硫酸濃度と香味安定性には相関があることが分かっています。酵母がもつ自然のチカラで生産された亜硫酸が、“天然の香味安定剤”としてビールを美味しく保っているのです。
酵母は、麦汁から取り込んだ物質を材料にして生育に必要な物質を生合成しています。亜硫酸はこのとき、メチオニンやシステインなど、硫黄を含む物質を合成する際の中間代謝物として生じます。これまでの研究では、亜硫酸合成の上流にある反応に関わる遺伝子の働きを増強したり、下流の反応を抑制することによって亜硫酸合成量の増加が試みられてきました。ところが、亜硫酸はその高い還元力によって酵母自身にダメージを与えてしまうため、過剰の亜硫酸生成は良好な発酵の妨げとなります。したがって、菌体内で生成された亜硫酸を効率良く菌体外に排出する仕組みが必要だということが分かりました。
1994年、 Xu らによってSSU1遺伝子が発見されました(Xu et al., 1994)。その後の解析によって、SSU1遺伝子産物は細胞膜に局在し、亜硫酸の排出ポンプとしての機能をもつことが明らかとなりました(Park and Bakalinsky, 2002)。ここでわれわれは、ビール中の亜硫酸生成においてもこのSSU1遺伝子が影響しているのではないかと考えました。
ビール酵母の中でも、エールタイプのビール醸造に用いられる上面発酵酵母が亜硫酸をほとんど生成しないのに対して、ラガータイプのビール醸造に用いられる下面発酵酵母は10-20ppm程度の亜硫酸を生成することができます。先に紹介したように、下面発酵酵母は、S.cerevisiaeと交雑したもう一方の祖先由来の遺伝子セットをもっています。そこで、cerevisiae由来(Sc型)のSSU1遺伝子と下面発酵酵母特有(非Sc型)のSSU1遺伝子の亜硫酸生成に対する影響を比較してみました。
2つのSc型SSU1を欠く株(株B)が親株とほぼ同程度の亜硫酸を生成したのに対し、非Sc型SSU1を2つ、あるいは全部欠く株(株D、E)はほとんど亜硫酸を生成しなくなりました。このとき株D、Eでは酵母の増殖が遅く、うまく発酵が進行しなかったことから、亜硫酸を効率よく菌体外に排出することが、酵母の増殖と良好な発酵にとって重要であることが改めて確認できました。
さらに、Sc型SSU1を高発現させた株(株F)による亜硫酸生成量は親株の1.5倍程度だったのに比べて、非Sc型SSU1を高発現させた株(株G)では約4倍に増加し、非Sc型 SSU1遺伝子およびその遺伝子産物がビール酵母の亜硫酸生成に大きく影響していることが示唆されました。
※部署名、役職名、写真は、制作(インタビュー)当時のものです。
※部署名、役職名、写真は、制作(インタビュー)当時のものです。