SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

vol.13「障がいがあるからこそ出られる世界の舞台に挑むのは、生まれたときからの運命だと思っています」 パラ陸上(やり投げ) 齋藤由希子選手

vol.13「障がいがあるからこそ出られる世界の舞台に挑むのは、生まれたときからの運命だと思っています」 パラ陸上(やり投げ) 齋藤由希子選手

砲丸投げの世界記録保持者でありながら、現在はやり投げで来年の大舞台をめざしているパラ陸上女子・投てき種目のスペシャリスト齋藤由希子選手。 高校生の頃に経験した東日本大震災や、2016年のリオ大会をめざす中での挫折を乗り越え、持ち前の笑顔とパワーで新たなチャレンジに情熱を注ぐ!

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── 齋藤さんは砲丸投げの世界記録を保持しながら現在はやり投げで世界を目指されていますが、まずは投てき競技との出会いから教えていただけますか?

中学校に入学したときに陸上部の顧問の先生から声をかけられたことがきっかけで砲丸投げを始めました。元々スポーツが好きでパワーや走ることにも自信がありながら、バスケやバレーのようなチームスポーツでは左腕が義手というハンディキャップが迷惑になってしまうのではないかという思いがあって運動部に入ることを尻込みしていたところ、砲丸投げを体験してみて「これだ」と思ったんです。個人競技で、かつ右腕だけで投げられるのでこれは勝負できるんじゃないかと。とりあえず1回チャレンジしてみて、合わなければやめればいいや、くらいの開き直った気持ちで始めました。

── そこからどのように競技にのめり込んでいったのでしょうか?

周りに陸上部が少ないエリアではあったのですが、1年生ですぐに地域のトップに立っちゃって(笑)。そこで、やっぱりどんなことでも一番になるというのは誇れることだなと実感しました。以来、純粋に競技が楽しくて、県大会や全国大会で障がい関係なくフラットに勝負できるところに魅力を感じながらどんどん砲丸投げにはまっていきましたね。

── 世界を意識し始めたのはいつ頃ですか?

高校生の頃に出会った私と同じような障がいを持つ選手から、大学1年生の時に「ジャパンパラという大会があるから一緒に出てみない?」と誘われて出場したことがきっかけです。そこで自分が取り組んでいた投てき3種目すべてで日本新記録を出すことができたんです。それまでは健常者と同じフィールドで戦って勝つことが大事だと思っていましたけれど、障がいがあるからこそ出られる世界の舞台があるのであれば、アスリートとしてそこを目指さない手はないと。そこでパラ陸上で世界のトップに立ちたいと思いました。

── その後、大きな挫折があったそうですね。

はい。2016年のリオ大会に出場できなかったことはやはりショックが大きかったです(砲丸投げは齋藤さんのクラスが競技人口減少のため実施されなかった)。仲間が出場している映像すらまともに見られませんでしたし、その後のトレーニングにもかなり影響を及ぼしてしまいました。でも今思うと、砲丸投げに対する思いをどこかで自分の中の口実にしてしまい、リオに出場するために取り組んでいたはずのやり投げに真剣に向き合えていなかったんですよね。だからこの3年はやり投げ1本に絞り、リオ大会のときの倍以上の気持ちを込めてトレーニングしています。来年の東京大会に向けて、今度こそ本当に自分の力すべてを注いでチャレンジしたいと思っています。

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©SportsPressJP/アフロ

── これからの1年、どのように過ごしていきたいですか?

現実的に見て来年の本大会に出られる可能性は50%だと思っています。砲丸投げからやり投げに種目を変えてまだ数年ですし、それほど甘くはないと思っていますので。ただ、可能性がゼロではない以上、自分が何をすべきかをきっちり理解しながらトレーニングを積んで可能な限りチャレンジしていきたいと思っています。とにかく出場するために自分の力を100%出しきること。それでも叶わなかったらそれはしょうがないと考えています。

── 東京大会に出場するためにはどのようなプロセスが必要ですか?

11月の世界選手権で4位以内に入ることをめざしていましたが、肘の怪我の影響もあって世界選手権の出場権を得るのが厳しい状況ですので、それに変わるプロセスとして今年4月から来年3月31日までの1年間の世界ランキングを6位に押し上げることを視野に入れています。それができれば日本のナショナルチームの出場枠を自分が取ったことになるため本大会に出場できる可能性が高まります。また世界ランク6位が厳しくなった場合でも、どの順位にいるかで自国開催枠なども関係してきますので、いずれにしてもなるべく世界ランキングの上位を目指すというのが当面の目標になってきます。

── 来年、世界の舞台でメダルを獲得することが齋藤さんの人生における大きな目標かと思いますが、その後のアスリートとしてのビジョンもうかがえますか?

パラ陸上競技の投てき種目、とくに女子に関しては中学校や高校の部活動においても非常に競技人口が少なく、指導者も決して多くはないんです。だから私は、将来指導者としてパラ陸上の女子投てき種目の普及活動をしていきたいという思いもあります。もちろん可能な限り現役選手として競技を続けるというのが第一ですが、いずれは後進の人材育成に関与していけるような存在になりたいですね。

── 齋藤さんはかつて、高校3年生の頃に東日本大震災を経験されました。そのことが人生の大きなターニングポイントにもなっているそうですね。

そうですね。気仙沼の自宅が津波で流されてしまい、学校も1ヶ月休むことになったので、高校最後の夏のインターハイをめざしていたとはいえ自分が競技を続けることがはたして正しい選択なのかどうか本当に悩みました。それに現実問題としてTシャツもない、下着もない、シューズもない環境でトレーニングする術がありませんでしたし、また災害直後はまともに食事や睡眠が取れず、シャワーも浴びられない日々が続くのに、まだ小学生だった弟たちを差し置いて自分のスポーツのためにわがままは言っていられないと。ただ、時間とともに学校、部活動が再開していく中で、陸上競技部の部長を務めていたこともあって仲間や後輩のために自分自身がもう一度陸上としっかり向き合っていかないといけないと思いました。その後、次第に国内の様々なところからトレーニングTシャツやシューズ、バッグなどを気仙沼のほうに届けていただき、少しずつトレーニングを再開することができました。インターハイには行けませんでしたが、そのように見知らぬ方々からの温かい支援によって陸上を辞めずにいられたことは今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

── お母さまをはじめ、地元・気仙沼の方々からの期待も大きいと思います。

そうですね。可能な限り、期待に応えられるようにしっかりやりたいなという気持ちです。また地元への思いだけではなく、会社でも競技に専念させてもらっているので、今の恵まれた環境に対する恩返しもしたいです。でも来年の東京がすべてとは考えていません。さらに4年後にはパリ大会がありますし、この先もしかしたら陸上競技だけじゃなくて他の競技に取り組むこともあるかもしれません。いずれにしても、4年に1度、障がいのある選手しか出場できない世界の舞台に挑むことができるのは自分が生まれたときからの運命だと捉えてチャレンジし続けたいですし、親、兄弟、そしてコーチも務めてくれている夫が、何らかの形で自慢できるような存在になりたいと思っています。

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PROFILE

さいとう ゆきこ●サントリー チャレンジド・アスリート奨励金 第1~5期対象
1993年8月2日生まれ、宮城県気仙沼市出身。生まれつき左腕の肘から先がなく、生後6ヶ月から義手をつける。中学から陸上競技部に入部し、健常者の大会に出場しながら砲丸投げで県内トップクラスの成績を残す。高校3年時に東日本大震災を経験するも、仙台大学進学後も陸上競技を続けて2014年の仁川アジアパラ競技大会で砲丸投げ、円盤投げの金メダルを獲得。現在、砲丸投げの世界記録、円盤投げとやり投げの日本記録を所持。来年の世界大会にはやり投げ(F46クラス)での出場をめざしている。

Photos:Go Tanabe Composition&Text:Kai Tokuhara

PASSION FOR CHALLENGE
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