SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
vol.4「変化を恐れず、限界の蓋を外すことが成長に繋がる」 パラトライアスロン 谷 真海選手 (前編)
走幅跳からトライアスロンという新たなフィールドに身を投じ、ひたむきに自身4度目のパラリンピック出場を目指す谷 真海。まさにパラリンピアンの「顔」でもある彼女の、不屈のチャレンジ精神とアスリート魂の源にある思いとは
── 2016年に走幅跳からトライアスロンに転向されてから2年と少しが経ちました。新しい競技人生において実感していることとは?
何よりトライアスロンの奥の深さ、ですね。当然すぐには速くなりませんし課題だらけなのですが、そんな中でも3種目の練習を上手にマネジメントし、時間にも折り合いもつけながらこなしていかなくてはならないところが大人なスポーツだなあと感じています。だからこそやりがいも大きいですね。
── 走幅跳は跳躍距離を伸ばす戦い、トライアスロンはタイムを縮める戦い。そのアプローチの違いによって練習への向き合い方は変わりましたか?
メンタル面も含めてあまり変わったとは感じていません。日々自分に課題を与えながら、妥協せずに淡々と地味な練習を積み重ねていくことは共通していますし、目指す大会がパラリンピックであることも同じですから。むしろ2020年に向けて緊張感がどんどん高まっていく中でレベルアップを目指す、という点では、走幅跳でパラリンピックに出場した経験値が生きてくるのではないかなと思っています。
── 逆にトライアスロンだからこそ得られている楽しみや充実感はありますか?
何より3種目あることがトライアスロンの面白さですよね。スイムとバイクとラン、3つすべてが思うようにいかないことは少なく、スイムが不調ならバイクとランで補えますし、逆に足を痛めていて走れないときでも泳ぐことはできたりします。何も練習ができない! というストレスがないんですよ。もちろん競技そのものは過酷です。全種目を通して体幹の強さが求められる中で、スイムは脚が左右非対称、バイクとランは義足をつけて競技をする時点で通常のアスリートよりも体の芯がしっかりしていないとブレてしまいますから。そのハードさは始める前に想像していた以上ですね(笑)。
── そんな中で、最近、谷選手が新しい「挑戦」をされていると聞きました。
そうなんです。バイクとランで同じ義足を使うことにしました。いわゆるカーボンのバネがついたラン義足でバイクも乗るのですが、来年の東京パラリンピックを見据え、少しでもタイムを速くするためのチャレンジですね。これまではバイクとランで、それぞれ異なる義足を使っていたので、その履き替えによってバイクからランへの移行にけっこう時間がかかっていたのですが、2種目の義足を共通にしたことでスムーズにいけば1分くらいは短縮できると思います。その1分を走って縮めるのは本当に大変なことなので、フィットするまでにもう少し時間は必要ですがトライアルとしてはとても意義のあることだと思っています。
── その東京パラリンピックですが、昨夏、谷さんのクラス(運動障がいPTS4クラス)が競技人口の少なさを理由に実施種目から除外され、一度はパラリンピックへの道が閉ざされました。当時はどのような心境だったのでしょうか?
トライアスロンへの転向、出産してからの早期復帰も、すべてが2020年を見据えての決断でもあったので、その目標を戦わずして失ってしまうのはあまりにも辛いことだなと感じました。障がいの度合いによってチャレンジができないというのは、本来パラリンピックの理念上あってはならないことだと思いますので。その後、日本からのルール改正の提案が通ったことで全選手が目指せることにはなったので、トライアスロンに関しては1歩進んだかなという印象です。おそらくその次のパリ大会に向けては今回の課題がしっかりと議論されることになるのではないでしょうか。
── 結果として、障がいの程度が軽いクラスとの混合種目という形で出場が可能になりました。
ハンデなしの無差別級にチャレンジするような形になりましたね。私にとってはとても厳しいことですが、やはり自国開催の大会でもありますし、出場できるクラスは変わってしまいましたけれど最後までできることをやらないと必ず後悔しますので、可能な限り自分のレベルを引き上げられるように頑張ってみようと思っています。
── タイムアップのためにバイクとランの義足を統一されたのも、そこがいちばんの理由なのですね。
まさにそうですね。思えば走幅跳時代も、「変化を恐れない」、「変化がなければ成長はない」と自分に言い聞かせながら、距離を伸ばすために最後の4年は踏み切り足を変えるなどいろんなチャレンジをしてきました。だから今回も、そのときと同じような強い信念を持って、上のカテゴリーのレースを目指すからといって守りに入るのではなく、逆に攻めなければいけないと思って決断をしました。
── その決断ができる、秘訣とは!?
自分の中の「限界の蓋」を外すこと、でしょうか。とはいえ「もうダメだ...」みたいなことは私も日常茶飯事で、だからこそ「この一歩を越えられたらまた成長のチャンスがあるよ!」と自分に言い聞かせています。それこそが15年のキャリアの中でスポーツが教えてくれた最も大きなことですね。この年齢でまだ自分の新しい可能性や伸び代を感じられるのですから、挑戦がある人生ってやっぱり楽しいですね。
PROFILE
たに まみ●サントリーホールディングス株式会社
コーポレートコミュニケーション本部CSR推進部
1982年3月12日生まれ、宮城県気仙沼市出身。旧姓・佐藤真海。早稲田大学在学中に骨肉腫によって右脚膝下を切断。卒業後サントリーに入社し、走幅跳でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピック出場。2013年にはIOC総会の最終プレゼンテーションでスピーチを行い、2020年東京オリンピック・パラリンピック招致に貢献。2016年から東京パラリンピック出場を目指してパラトライアスロンに転向し、2017年の世界選手権で優勝を飾る。
Photos:Takemi Yabuki[W] Composition&Text:Kai Tokuhara