SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#47 「勝敗を決するプレーで、チームを引っ張る存在に」
車いすバスケットボール 五十嵐 雄也選手
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」所属
Q.競技との出会いは?
小学3年のとき、脊髄炎という病気になりました。それまで元気に走り回っていたのにある日、朝起きたら足が動かない。高熱が出て、3日間こん睡状態になりました。目が覚めたら、足が完全に麻痺していました。それから20年、ずっと車いす生活を送っています。
車いすバスケのことを知ったのは、中学のときに開催された宮城国体です。試合を観てすごく格好いいと思い、高校生になると宮城スパークスというチームに入りました。
もともと車いす生活が長かったので、競技用車いすにはすぐ慣れました。でも車いすをこぐことと、ボールをさばくことの二つを手でやるのは大変でした。また車いすからだと、ゴールはものすごく高いんです。下半身のバネも使えないので、最初はボールがぜんぜんゴールに届きませんでした。車いすバスケは、非常に高度なスキルが必要とされるスポーツです。
Q.印象に残っている試合やプレーは?
宮城MAXに入る前、高校生のとき、ある選手権大会の予選で、僕が決めたシュートで逆転し、残り10秒ほどで勝ったことがあります。そういう勝ち負けにかかわるプレーができたときはすごく興奮します。僕は大学2年のとき、もっと上を目指したいと思って宮城MAXに入部しました。でもこのチームはベテラン選手が多く、プレイタイムも短いためなかなか勝ち負けを決めるようなプレーはできません。そこは正直、悔しいです。もっともっと練習して、ここぞというときに活躍できるようになりたいです。
Q.選手としての課題は?
僕の持ち点は2.5。4以上のハイポインターが高さで勝負するなら、僕らの武器はスピードです。宮城MAXには日本代表に選ばれる選手も沢山いますが、まだまだ若手世代の実力が足りません。だから今、若手は先輩たちに食らいついて、プレーを吸収しながら、チームの底上げを図っています。僕は今、29歳で、他のチームなら中堅だと思います。でも30代以上がほとんどの宮城MAXでは、まだまだ若手です。これからの宮城MAXを、僕らが引っ張っていかなくてはならないと思っています。日本代表でも活躍した佐藤聡ヘッドコーチから、細かいプレーを丁寧に指導してもらっています。貪欲に学び、自分のプレーを向上させていきたいです。
Q.これまでで最も大変だった経験は?
今は通信会社の仙台の支社で働いていますが、一時、転勤になって東京で暮らしていたことがあります。そのときはつらかったですね。残業の多い部署だったので、練習時間をつくりだすのが大変でした。何とか時間をやりくりし、土日に仙台に帰って練習をする。そんな生活を3年続けました。日帰りの練習で、往復800キロ運転したこともありました。(笑)とてもハードな日々でしたが、仕事もバスケも両方自分にとって大事なことだったので、どちらも諦めず、頑張り抜きました。
Q.今後の目標、夢は?
自分らしいスピードを活かしたプレーに磨きをかけ、まずは日本選手権の10連覇に貢献したいですね。そのうえで、チームのレギュラーメンバーとして活躍できるよう、実力をつけていきたいです。夢は控えめですが......(笑)、家族と仲良く、幸せに暮らすことですね。もちろんチャンスがあるのならば世界を相手に戦ってみたいです。
Q.読者へのメッセージをお願いします。
車いすバスケが面白いのは、選手によって障がいのレベルが違うことです。障がいが軽い選手も、重い選手も、同じコートでそれぞれの持ち味を活かしてプレーしています。この選手はこれだけ重い障がいをもったうえで、こういったプレーをしているんだ、ということが分かってくると、さらに面白くなります。後は何といっても、スピードと激しさ。観る側にとってもものすごく面白いスポーツだと思うので、ぜひ一度試合会場に足を運んで欲しいですね。
五十嵐 雄也選手YUYA IGARASHI
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」所属
●1988年9月12日生まれ
●宮城県石巻市出身/宮城県仙台市在住
●障がい名:脊髄炎
●宮城国体を観戦して競技に興味をもつ
●主な大会出場実績
日本選手権、全国障害者スポーツ大会、ブロック選抜大会等
日本選手権9連覇(宮城MAXとして)、ブロック選抜大会優勝(東北選抜チームとして)●家族構成:妻
●趣味:音楽