SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#45 「選手としては完全燃焼。みんながパラスポーツを楽しめる環境作りで貢献したい」
パラアイスホッケー 上原 大祐選手
サントリーホールディングス主催 車いすスポーツ導入教室 講師
Q.競技との出会いは?
僕には生まれつき二分脊椎という障がいがあって、幼い頃から車いすで生活してきました。でも子どもの頃はすごいやんちゃでした。毎日、車いすをほっぽり出し、這って川に入って魚や蟹を獲ったり、まるでターザンのような生活をしていました。
中学生になると、自転車をこぐ友達につかまって引っ張ってもらったりして、よく転んで車いすを壊していました。ある日「君ほど車いすを壊すやつはいない。君みたいなやんちゃな奴に向いているから一度、ホッケーを見に来なさい」と、自身もパラアイスホッケーをしていた車いす会社の社長から声をかけられました。また高校時代に長野パラリンピックのレセプションに参加して、ドイツの選手から「君はホッケーをやってないの? 楽しいからやってみない?」と誘われました。そんなこともあって、19歳からパラアイスホッケーを本格的に始めることにしたんです。
Q.実際にプレーをしていかがでしたか?
こんなに自分に向いたスポーツはない、まさに僕のためにあるスポーツだと感じました。
パラアイスホッケーは、スレッジというソリのような道具に乗って氷の上を滑ります。体幹がとても重要なのですが、僕は子どもの頃から這って遊び回っているうちに、自然と体幹が鍛えられたようです。パラアイスホッケーは2本のスティックを持ち、右手でも左手でもパスやシュートができるのが特徴です。壁にパックをぶつけて一人でワンツーパスをしたり、壁を沿わせてゴール近くにパスしたり。壁を7人目のプレーヤーのように使えるところも面白いです。見る人にとっては、生身の体と体がぶつかりあう格闘技のような魅力があります。また現地の会場で見ると、氷上を滑る音や激突する音など、迫力がまったく違います。ぜひ一度は生で、その迫力とスピードを体感していただきたいですね。
Q.最も印象に残っている試合は?
2010年にバンクーバーで開かれたパラリンピックですね。ホッケー大国のカナダで行われた試合で、圧倒的に格上だったカナダチームに勝ち、銀メダルを獲得することができました。僕は12年間、ホッケーをやってきて、カナダとは40?50試合しているのですが、勝てたのはこのときだけです。しかも僕の最高のパートナー、高橋選手とのコンビで点を取れたのが嬉しかったですね。あの時はパックをバックパスして彼がキャッチした瞬間、ゴールのイメージが鮮明に浮かんで〝この試合はもらった〟と思いました。だからシュートをした後、パックをきちんと見ていないんです。後から動画を見て、枠ギリギリでゴールしていたのを見て、ヒヤッとしたほどです。あの試合は、僕のホッケー人生で最高の試合でした。でも残念だったのが、当時は今よりメディアの数が少なかったことです。もし今、あの試合が行われていたら、日本中が最高に盛り上がっていたと思います。
Q.海外でも活動されてきましたね?
2004年から2006年まで、シカゴブラックホークスに所属し、時々海外へ遠征して練習や試合に参加しました。このチームはカナダ代表より強いチームでした。世界トップレベルのプレーヤーやコーチらと一緒にホッケーができ、学ぶことも多かったです。海外と比べると、日本のパラアイスホッケーはまだ圧倒的にレベルが低い。そんな現実を知るためにも、若い選手には積極的に世界に出てほしいと思います。
2012年にはアメリカにホッケー留学し、フィラデルフィアのチームに参加しました。現地では健常者も障がい者も分け隔てなく、一緒にアイスホッケーを楽しんでいました。日本ではまだパラスポーツは、障がい者がやる特別なものと思われています。でもパラスポーツの本当の良さは、健常者、障がい者の区別なく、みんなが楽しめるところです。2020年に向けて、日本にもそのような機運が生まれてほしいです。
Q.競技以外にもNPOなどで多彩な活動をしていますね。
2014年にNPO法人「D-SHiPS32(ディーシップスミニ)」を立ち上げ、障がいをもつ子どもとその親御さんのサポートを始めました。健常者を集めて車いすの運動会をやったり、健康のためにパラスポーツをするパラササイズという取り組みを始めたりもしています。最近ではこのNPOとは別に、スーツメーカーと車いすユーザー用のスーツを開発したり、石川県の中能登町で車いすユーザーでも簡単に着られる着物をつくったりするなど、ものづくりにも関わっています。
Q.今後の夢・目標は?
僕は平昌パラリンピックを最後に、選手としては退きました。これからはパラスポーツの普及活動、若い選手の発掘と育成に力を入れていきます。日本のホッケーのレベルアップのためには、まずは裾野を広げる必要があります。そのためにも新潟、岡山、仙台でホッケーの体験会を定期的に開くなど、日本中でパラアイスホッケーができる環境づくりに取り組んでいきます。平昌パラリンピックにもパラアイスホッケーをやっている子どもたちが応援に来てくれました。彼らのような若い人たちにじっくり時間をかけて実力ある選手に育ってもらい、僕らの上をいく金メダルをとってもらう。それが夢ですね。
車いす利用者のスポーツ活動や社会参加の促進を目指す「車いすスポーツ導入教室」にて講師を務めていただきました
上原 大祐選手DAISUKE UEHARA
サントリーホールディングス主催 車いすスポーツ導入教室 講師
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●1981年12月27日生
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●長野県軽井沢町出身
東京都北区在住 -
●・2006年 トリノパラリンピック 5位
・2008年 世界選手権Aプール(アメリカ) 4位
・2009年 世界選手権Aプール(チェコ) 4位
・2010年 バンクーバーパラリンピック 2位
・2012年 世界選手権Aプール(ノルウェー) 7位
・2017年 ピョンチャン最終予選大会 2位
・2018年 ピョンチャンパラリンピック 8位 -
●趣味:釣り