SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#44 「水泳は、「昨日の自分」を超えるスポーツ。超えた瞬間は本当にうれしい」
水泳 立谷 大祐選手
Q.競技との出会いは?
2007年、車を運転中に自損事故を起こし、左足の大腿骨を骨折しました。開放性骨折という骨折としてはかなりひどい状態で、折れた骨が筋肉を飛び出して神経が全部切れてしまったんです。折れた骨を切りとる手術をして、半年間はベッドで寝たきりの状態でした。トイレから何から全部、看護師さんたちにお世話にならなくては出来なくて......。ストレスで円形脱毛症になりましたね。
その後、リハビリのために転院した岩手県立大東病院にプールがあったんです。とにかくベッドの上にいたくなくて、プールに行って歩き始めました。半年間で筋力がかなり落ちていたけど、それでもプールなら誰かの手を借りずに自由に動けるので、くたくたになるまでプールで歩きました。半月ぐらいすると歩くことに飽きて、自然と泳ぎ始めて......。自己流でしたけど。
2カ月ほどでリハビリを終えて退院した後も、病院のプールに通って泳ぎました。そうこうするうちにプールでよく顔を合わせていた地元の人の勧めで、2009年6月に障がい者水泳の県大会に出てみたんです。そしたら50メートル自由形で優勝しちゃいまして。
Q.本格的に取り組み始めたのはいつからですか?
県大会と同じ年の秋、トキめき新潟大会(第9回全国障害者スポーツ大会)に出場してからです。実は、大会に行くときの気持ちは旅行感覚だったんです。でも、出場者たちの一生懸命な姿を見て、大会会場で「自分も頑張りたい」という気持ちに変化しました。
自分より障がいが重いのにスイスイ泳ぐ人や、口をゆがめながら必死に泳ぐ人......。いまパラトライアスロンで世界的に活躍する女性選手なんて、本当に圧巻の泳ぎでした。それでその時の監督さんに「もっと水泳を教えて欲しい」とお願いしたら、「自分より若くて理論のある人を紹介する」と。大会後、まもなくして今もお世話になっている宮野るみ子コーチをご紹介頂きました。コーチは盛岡在住なので、週に2日ほど一関から盛岡に通って理論や技術を教わり、上達するようになりました。
泳げるようになって気づいたんですが、若いころ打ち込んだバスケットボールより、水泳は結果がタイムとしてはっきり出る。バスケなら自分がちょっとミスしても仲間のフォローで勝つこともあるけど、水泳は自分自身の力がタイムとして出るので、全然ごまかしがきかない。
納得がいく結果を出せたのは2016年の希望郷いわて大会(第16回全国障害者スポーツ大会)でした。50メートルの自由形とバタフライ、2種目で優勝したんです。タイムが出ると本当にうれしいんですよ。だから、同じ年に友人が結成したスイミングチーム「イーハトーブSC」に所属して、記録をのばしたいと貪欲に頑張る仲間たちと一緒に鍛錬してきました。だれかが記録を出したら「悔しいから俺も出すぞ!」と頑張れる。
Q.水泳に打ち込むことで、内面にも変化がありましたか?
水泳は過去の自分の記録、つまり「昨日の自分」を超えることを目指すスポーツです。厳しい練習をして「昨日の自分」を超えられた時は、本当にうれしいですよ。
昨年も、日本身体障がい者水泳選手権で50メートル自由形に出場して自己ベストを更新しました。41歳での更新でしたから、うれしかったですね。
そしていま僕の足は、杖の必要がないまでに回復しています。
事故に遭った11年前、医者には「(足が)どうなるかは分からない。リハビリ次第です」と言われました。リハビリや日常の中での頑張りも水泳の上達と重なっていて、水泳で結果が出ると「もっと歩けるように頑張ろう」と思える。その積み重ねで、水泳を始めて3年ぐらいで杖がなくても歩けるようになりました。
ただ、今年は水泳を抑えめにしなくちゃな、と思います。いま、けがの手術をした病院で働いていますが、同じ職場の女性とこの2月に結婚して、7月に子どもが生まれる予定なんです。しかも予定日は僕の誕生日と同じなんですよ。9月にはジャパンパラ競技大会があって、出場権もクリアしていますけど、両親からは「水泳は来年もあるけど、子どもの誕生は一生に一度」と言われまして、まあ本当にそうだよな、と(苦笑)。
これまでは週5回、仕事の後に2時間ほど練習して、8時ごろ家に帰る生活でしたが、家庭を持つなら夫として父として、家のこともちゃんとやらなくちゃ、ですよね。
Q.幸せの最高潮ですね。
11年前の自分には、こんな幸福な日々は全く想像できませんでした。ベッドの上で動けずに「オレはもうあるげねえんだ」と、絶望的な気分で天井を見つめていましたから。ただ、けがをしなかったら、こんなにたくさんの人たちに感謝することもなかったし、水泳を通じてたくさんの人に出会えることもありませんでした。いまでは障がいを持ったことで別の人生があったんだ、と思えるようになりました。
Q.生まれてくるお子さんに、どんな夢を託しますか?
子どもが物心つくころまで現役選手でいられるとは思いませんが、我が子に水泳を教えることで「お父さんてすごいね」と思ってもらえたら、うれしいですね。
立谷 大祐選手DAISUKE TACHIYA
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●1976年7月22日生
岩手県一ノ関市出身、在住 -
●左下肢機能障害
2007年3月、30歳の時に交通事故のために左下肢大腿骨開放性骨折を発症。
手術を担当していただいたドクターからは「今まで通りの生活はできませんよ。一生杖をついて生活する事になると思います。」と伝えられる。 -
●リハビリテーションのために入院していた、岩手県立大東病院にリハビリ用プールがあったので水泳(プールの中を歩く事)を開始
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●2009年に初めて全国大会(トキめき新潟大会)に出場
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●IPC公認ジャパンパラ2016出場
2016希望郷いわて大会 50㍍自由形 優勝 50㍍バタフライ 優勝
IPC公認パラ水泳春季記録会兼ワールドパラ世界選手権代表選考会2017 出場
IPC公認ジャパンパラ2017出場
日本障がい者水泳選手権2017 50㍍自由形 優勝
※いずれもクラスS10 -
●趣味 サウナ、温泉入浴
特技 大食い
家族構成 2018年2月に結婚し二児の父になる予定です。