SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#42 「人生3度の大病。そのたびに周囲に支えられて強くなってきた。」
車いすバスケットボール 藤井 郁美選手
サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第2期~4期対象
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」「SCRATCH」所属
Q.競技との出会いは?
横浜で暮らしていた中学校3年のとき、右足大腿骨にできた骨肉腫を取り除く手術を受け、ひざが人工関節になりました。小学校でミニバスケットを始め、中学でもバスケ部でしたが、手術後は歩くことはできでも運動は難しくなりました。高校でバスケ部マネジャーとして多忙に過ごしていたところ、顧問の先生から「こういうのがあるよ」と車いすバスケットの存在を教えて頂いて。でも当初は「これは自分ではやらないな」と思っていたんです。
しばらくして横浜でいまも活動するベテラン選手から神奈川県の女子チームに入ることを勧められ、「君なら日本代表だって夢じゃないよ」と言われて。「あ、そうなんだ。じゃあやってみようかな」って思って、20歳で本格的に始めました。いま思うとうまく乗せられましたね(笑い)。それで5年ぐらいは神奈川のチームに所属していました。
Q.25歳で宮城に移住して、男子選手主体のチーム「宮城MAX」に所属しましたね。
宮城に移る前に日本代表となり、2006年の世界選手権大会に出場しましたが、私はまだ新人で結果が出せず、チームも6位。悔しい思いで「何か環境を変えないとこの先強くなれない」と感じながら帰国したんです。そのとき日本代表を率いていたのが、宮城MAXの岩佐義明監督でした。岩佐監督のもとでもっと学びたい、宮城MAXの男子選手の中で力をつけたいと、思い切って移住しました。
健常者としてバスケを続けてきた私にとって、車いすバスケは「別物」という思いが消えませんでしたが、岩佐監督の目指すバスケは、ベースに健常者のバスケがあるんです。それは私に合っていたし、楽しかったですね。練習でも、障がいがあろうがなかろうが、一選手として厳しく指導してくださるんです。
ただ、もちろん男子チームでの練習は、体力的にハードでしたね。こちらに来て10年過ぎて、やっと自分のプレースタイルが整ってきたな、という印象です。
Q.チームメートの藤井新悟さんと、29歳で結婚されました。
夫はコートの上ではリーダーでもあり、ライバルでもあり、同志でもあり......。とにかく心強い存在です。子育てにも色々とかかわってくれています。リオパラリンピックの予選の代表合宿にも生後10カ月だった長男・蒼空(そら)を連れて行って、練習を抜けて授乳をして、また練習に戻って。
実は産後、「練習に戻るのは無理」と思っていたんです。でも、子育てのストレスをためていた私を見て夫が「一緒に体育館に行こう」と誘ってくれて。行ったらやりたくなりますよね。
いま息子は3歳です。夫は秋田出身で私は神奈川出身なので、子育ても両親に頼れません。障がいのある2人で競技に打ち込みながら、必死に子育てしてきました。「ぜんぶ同時進行」で、よく2人だけで頑張ったと思いますよ(笑い)。
Q.車いすバスケに打ち込んだことで精神的に強くなった?
車いすバスケを始めたきっかけは中3で手術した右足の骨肉腫ですが、実はこれまでの人生で計3回、大病を経験してきました。2度目は19歳の時、潰瘍性大腸炎になり、大腸をすべて取りました。3回目は去年、乳がんが分かりまして。9月に手術をして右の乳房を全摘したんです。手術の日程も、何とか翌月の世界選手権の予選に間に合うように調整してもらって、大胸筋を傷つけないようにオペしてもらいました。術後10日ぐらいで練習に復帰した時には、ふだん厳しい岩佐監督も「(車いすに)乗ってるだけにしろ」と(苦笑)。
病気ごとに強くなってきたところはありますが、さすがに乳がんには心が折れそうでした。夫と2人で落ち込みましたし、親子3人で食卓を囲んでいる時に「この時間を続けられるなら、これだけでいい」と思いもしました。「(世界選手権予選に)出ない」という選択肢も考えましたが、周囲の期待に応えなくては、キャプテンとしての責務を果たさなくてはと、葛藤して......。今回ばかりは日本代表という立場にストレスを感じる自分がいましたね。
Q.折れた心を立て直し、再びコートに立った。その強さはどこから?
ありがたいと言うべきか、3度の病気ごとに周囲の人、家族や友人たちに支えられてきました。支えてくれた人たち、仲間の存在がなければ、立っていられませんでした。私は「人」に恵まれているなあと思います。
Q.2020年の東京パラリンピックは大事な舞台になりますね。
そうですね。でもまずは「大阪カップ」(2月15日~17日、大阪市中央体育館)で、いまの自分たちの力がどこまで通用するか、ですね。それから今年は4年に1度のアジアパラ競技大会もあります。日本代表としては大事にしたい大会です。
年齢的にも、2020年を競技人生の集大成にできればと思っています。上位に食い込んで、願わくばメダルを取って......。それが終わると息子が小学生になるので、「ぜんぶ同時進行」に、区切りをつけたいですね。
サントリーチャレンジド・スポーツ「アスリート・ビジット」にも参加
藤井 郁美選手IKUMI FUJII
サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第2期~4期対象
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」「SCRATCH」所属
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●1982年11月2日生
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●神奈川県横浜市出身
宮城県仙台市在住 -
●右下肢機能障がい・疾病
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●高校生の時バスケ部の顧問の先生からの紹介で競技を開始。本格的に競技開始したのは20歳から
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●所属チーム歴
女子チーム:WING→現在SCRATCH
男子チーム:現在宮城MAX -
●2006年 オランダアムステルダム世界選手権大会出場 6位
2008年 北京パラリンピック 4位
2010年 バーミンガム世界選手権大会 7位
2010年 アジアパラリンピック 優勝
2011年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 優勝
2012年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 準優勝
2015年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 準優勝
2017年 全日本女子車椅子バスケットボール大会 準優勝
2017年 第45回日本選手権車椅子バスケットボール選手権大会 優勝 (大会9連覇) -
●家族構成:夫、子供1人