SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#35 「夢を実現するため移籍を決断。自分の「意志」を大切にしたい」
車いすバスケットボール 藤澤 潔選手
Q.競技との出会いは?
1991年、故郷の長野市で5歳のとき、跳び箱から落ちて脊髄損傷で車いす生活になりました。車いすバスケットに出会ったのは中学2年生のころ。体験会の募集チラシを見た母親に、急に連れて行かれたのがきっかけでした。
本格的に取り組み始めたのは16歳からです。最初に地元のクラブチーム・K9長野に入り、その後、もう一つの地元チーム・長野WBCに移りました。
Q.困難を乗り越えた経験と、そこで得たものは?
国立長野高専の専攻科を卒業して地元で就職してからは、残業もあって競技生活との両立ができず、もんもんとしていました。
その頃には日本全国から選手が集まる強化合宿に呼ばれるようになっていましたが、トップ選手にボロボロにやられて、全国や世界のレベルがどれほどのものか思い知らされました。いつか自分もパラリンピックで活躍したい、一流プレーヤーになりたいという思いがふくらみましたが、チームでは主将なのにみんなをまとめられず、「自分だけが頑張ればいい」っていう思いに陥っていました。
2年くらい悩み続けた末、2012年、現在の所属チームである全国の強豪・埼玉ライオンズへの移籍を決断しました。選手の多くが若く才能にあふれていて、必ず勢いのあるチームになると感じたからです。周囲を説得し、会社を辞め、妻と一緒に長野を離れました。夢を実現するための大きな決断を下すことができたのは、人生のターニングポイントでしたね。「向こうで頑張ってこい」と見送ってくれた長野WBCのチームメートには感謝しかありません。
でも、最初の1年半は「移籍してきたのだから、とにかく戦力にならなくては」というプレッシャーもあり、うまくいかなかった。強化合宿にまったく呼ばれない時期があって、焦りもありました。シュートが入れば呼ばれるし、入らなかったら「要りません」と言われるシビアな世界です。
だから、リオパラリンピックで日本代表になれたときはホッとしました。送り出してくれた長野の仲間たちは「日本代表になってもらわないと困るよ」っていう気持ちだったと思うので。その期待に、少し応えることができたかなと思っています。
Q.2020年へ向けての抱負・課題は?
日本代表の一員として活躍し、メダルをとりたいです。埼玉ライオンズのチームメートであり、埼玉に移籍してから働いている住宅設備機器商社の先輩でもある永田裕幸選手とは、ともに東京パラリンピックを目指して切磋琢磨しています。お互い恨みっこなしで、いい意味で意識し合えるのはいいなと思います。
僕は下半身が使えません。持ち点(障がいの程度によって選手ごとに与えられる点数)は2.0。ローポインター(持ち点2.5以下の、障がいの程度が比較的重い選手)と呼ばれます。今の日本には3ポイントシュートを武器にしているローポインターはいないので、それができる選手になって存在感を出したいですね。
高校時代、イギリスのジョン・ポロックという持ち点2.5の3ポイントシューターが出場した世界選手権の試合を見て衝撃を受けました。彼に憧れて、3ポイントシュートの目標を持つようになりました。僕のシュートは腕だけで打つことになるので、腹筋と胸をバネにショットを飛ばせるようトレーニングを重ねています。
Q.心がけていることは?
どんなときもしっかり準備をしておくことです。
僕の武器は(3ポイントライン付近の遠い位置からゴールを狙う)アウトサイドシュートです。自分のチームのエースの周りへ相手ディフェンスが飛んでいき、僕がフリーになってシュートのチャンスがやってくることがあります。そのときに自分の力を出し切れるように備えています。
最近は柔軟な考え方も大事なんだと思えるようになってきました。例えば、シュートを決めるためにシュートの練習ばかりするのではなく、体の使い方を学ぶことも重視しています。
Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!
僕が大切にしている言葉は、リンカーンの「意志のあるところに道はある」です。自分で決めた判断や意志は大切にしています。
これまでの自分を振り返ると、「障がい者」「健常者」とラインを決めて、何かできないことの言い訳にしていたところもありました。でも車いすの人たちだけの世界だと、そうした言い訳は通らない。できないからやらないんじゃなくて、やらないだけ、ということに気づいたんです。
将来、国内に車いすバスケットのプロリーグができ、すべてのチームをシャッフルしてドラフト会議ができたら最高ですね。また、皆さんにもっと試合観戦に来てもらえたらうれしいです。
藤澤 潔選手KIYOSHI FUJISAWA
●1986年7月26日生まれ
●長野県長野市出身
埼玉県さいたま市在住●脊髄損傷
●中学校2年生のとき、体験会へ参加したことがきっかけで競技を開始
●競技環境を求め、2012年に長野WBCから埼玉ライオンズへ移籍
●・2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ男子日本代表
・2016リオパラリンピック男子日本代表●趣味:ラジオを聴くこと