SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#26 「課題は女子の育成 ルール改定し、男女混成チームで強化めざす」

#26 「課題は女子の育成 ルール改定し、男女混成チームで強化めざす」

車椅子バスケットボール 玉川 敏彦会長

日本車椅子バスケットボール連盟 会長

Q.競技との出会い、また困難に直面し乗り越えた経験をお聞かせください。

21歳だった1973年、アルバイト中に高い所から転落する事故で脊髄を損傷し、入院2カ月目にドクターから「君はもう歩けない」と告げられました。ついこの間までは普通に歩いていた。受け入れることができません。いかに死のうかと考えました。
 気持ちを落ち着かせるまで2年ぐらいはかかったと思います。入院していたのは東京・高円寺の病院ですが、看護師さんが同じように車椅子生活になった人に引き合わせてくれました。その人は僕に会いに(電車だと5駅離れた)三鷹から来てくれました。単純にどうやって来たのか不思議でしたが、車だと聞いてびっくりしました。アクセルやブレーキを手で操作する装置も実際にみせてくれた。その頃からですね、「社会に出よう」と前向きに思えるようになったのは。
 退院後、現在の国立障害者リハビリテーションセンターに入所しました。職業訓練や運転免許取得とともに車椅子バスケもプログラムにあって、ボールを拾うボランティアに近くの看護学生が来てくれていました。同じ体育館を日本代表クラスの人たちも使っていて、その人たちがすごいモテていて。動機が不純ですけど、バスケを始めたのは、女性にモテるかもしれないっていうのもありました。
 リハビリセンターでは4人の相部屋の全員がバスケ仲間でした。その頃は夕食に出たご飯を少し取っておいたんですよ。練習後、だれかがラーメンを作って、別のだれかがビールを買いに行き、取っておいたご飯を出してビールとラーメンライス。入所中の楽しみでした。今でも彼らとは付き合いがあり、一番の思い出です。

Q.競技に関わって40年以上になりますね。

選手としては、1977年にオーストラリアで開かれたフェスピック(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)などに出場しました。当時、障害者スポーツといえば車椅子バスケをやっている人が多かった。ほかのスポーツが今ほど普及していなかったですね。
 車椅子は今と昔じゃ全然違いますよ。現在の競技用車椅子は車輪が「ハ」の字形に傾いていますが、当時は普通の車椅子。試合のたび、足を保護するための「バンパー」という部品を取り付けていました。
 プレーできる体育館も少なかった。床に傷がつくと言われ使わせてもらえなかったんです。今は2020年に向けてだいぶオープンになってきたように感じます。
 その後、1988年に車椅子の製造販売会社「日本ウイール・チェアー」に入社しました。当時、車椅子バスケの競技専用の車椅子を扱う数少ない会社で、営業と修理をすべてこなしました。プレーヤーだった経験から製造にもいろいろアドバイスしました。
 試合を見てもらえばはっきりわかりますが、車椅子の形状はポジションによって全部違う。障がいの程度、身長差など、いろいろ条件があるので、どうしたら高いポジションで位置取りできるかなど、開発には本当に苦労しました。

Q.2020年に向けてどのような取り組みを?

連盟は、前回1964年の東京パラリンピックで障がいがあっても明るくがんばっている海外の車椅子バスケ選手たちを見た初代会長の故・浜本勝行さんが、「自分たちもバスケを通じて社会へ出て行こう」という思いから結成されました。障がい者スポーツの団体競技としては、社会へアピールする力が一番ある競技だと思っています。
 一昨年から東京都内の学校で車椅子バスケの体験講習会を開いています。2020年までに5000校での開催が目標です。車椅子は初めてだとまっすぐ進むのが難しいですが、子どもたちはスイスイと乗りこなしますよ。一度乗ると離さない子もいます。
 体験後は質問コーナーを設けていますが、「家でどうやって生活しているのですか?」など、子どもならではの素直な質問が聞ける。実は私、この時間が楽しみなんです。私たちからは、みんなが大人になって障がいのある人を見かけたら、まず「お手伝いすることありますか」と声をかけてほしい、と伝えています。
 一方、地方では選手がいなくてチーム編成に苦労しているところがある。現在、健常者の大学生を車椅子に乗せてチームに加える取り組みをしています。

Q.連盟の課題は?

女子の育成です。女子は競技人口もまだまだ少なく、チームとして強化するのは難しいのが現状です。そこで、国内大会では女子を2人まで入れてプレーできる男女混成チームが出場できるようルールを改定して女子を育成していくことにしました。
 通常、一つのチームは障がいの程度によって選手ごとに与えられる「持ち点」の合計が14点以内で編成されますが、女子選手を加えることで持ち点の合計を最大17点まで引き上げることができます。試行錯誤の段階ですが、5月3日から東京・千駄ケ谷の東京体育館で始まる日本選手権では、男子に交じって女子が活躍する場面が見られると思います。

Q.最後に読者のみなさんへメッセージを。

 「きゅっきゅっ」と音を立てながら素早く方向を変える車椅子の動きは、この競技のだいご味です。慣れてくると手の動かし方、タイヤの持ち方で選手の動きが読めます。相手とのだましあいもある。そういうところを見てもらえればおもしろいと思います。車椅子同士がぶつかる迫力、タイヤの焦げるにおい、そういったものをぜひ、会場で実際に感じていただきたいですね。

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玉川 敏彦会長TOSHIHIKO TAMAGAWA

日本車椅子バスケットボール連盟 会長

  • ●1952年8月16日生まれ

  • ●青森県出身/東京都在住

  • ●1975年国立障害者リハビリテーションセンターに入所。車椅子バスケットに出会う。

  • ●1977年にオーストラリアで開かれたフェスピック(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)などに出場。1988年に車椅子の製造販売会社「日本ウイール・チェアー」に入社

  • ●2002年日本車椅子バスケットボール連盟副会長を経て、2016年より同連盟会長に就任

PASSION FOR CHALLENGE
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