SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#22 「『ママは今、何をがんばっているの?』娘の言葉きっかけに。」
水泳 村田 奈々選手
「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第2~3期対象
Q.競技との出会いは?
高校でハンドボール部員だった1999年、倒れてきたゴールで右足にけがをし、それがきっかけで右足に非常に強い痛みが出る病気になりました。長時間立ったり歩いたりが難しくなって杖を使うようになり、2005年には左足にも症状が及んで車椅子生活になりました。
でも、スポーツはいろんな種目に挑戦してきました。水泳は03年、トライアスロンの大会で挑戦したのが最初です。他にも地元の大会などに出場していましたが、08年に娘の伶奈を授かり、その後、東日本大震災もあって、しばらく水泳からは遠ざかっていました。
復帰したのは14年のことです。きっかけは伶奈の言葉でした。突然、「ママは今、何をがんばっているの? むかし、水泳とかでメダルいっぱいとってたんだよね? がんばっている姿、また見たいなぁ」って言われたのです。以前、いろんなスポーツに取り組んでいたことを祖父や父が話してくれていたようです。びっくりしましたが、うれしかったですね。
ちょうどその頃、地元・岩手で国体に続いて開かれる全国障害者スポーツ大会に向け、水泳の強化指定選手の候補になったという知らせが届きました。伶奈の一言と重なって、私の水泳人生が始まりました。人生にターニングポイントってあるんですね。
Q.やはり、家族の支えが大きかった?
水泳に復帰すると家族の前で宣言した時、母親だけは、なかなか賛成してくれませんでした。子育てはちゃんとできるのか、もし競技で症状が進行したらと心配をしていたからです。練習も子育てもちゃんとやるから手を貸してほしいとお願いしましたが、それでもダメ。そうしたら、伶奈が母に電話をかけたんですよ。「どうしてママのこと応援しないの?」って。それで母が折れて、やっと復帰できることになりました。今では、大会のたびに家族そろって見に来てくれます。
Q.困難に直面し乗り越えた経験は?
15年のジャパンパラ水泳競技大会に初出場しましたが、診断書の医学的データ不足で国際クラス分けから外れました。国際大会に出場できない。つまり、パラリンピックにも出られません。号泣しました。
でも、ここで泳いじゃいけないわけじゃない。今はまず泳がなくちゃ、と。国際大会の出場資格はなくとも順位は決まるので、メダルをとるチャンスはありました。気持ちをリセットし、50メートル自由形で金、100メートル自由形で銀、100メートル平泳ぎで銅と、それぞれメダルをとることができました。水泳のクラス分けは厳しい。悔しい思いをしましたが、同じ思いをした仲間と励まし合いました。
Q.夢、目標は?
毎日淡々とやっていくことですね。私は、現時点ではクラス分けの関係でパラリンピックをはじめとする障がい者水泳の国際大会は出られません。こういう中途半端な立場になると、やめてしまう選手も多いと聞きます。でも、私は水泳をやめようとは思いません。マスターズなどいろんな大会に出て、健常者と障がい者の間の壁を壊したいです。
50メートル自由形のタイムは今、35秒台です。30秒を切らないと話にならない試合もあるので、絶対に縮めたいですね。けっこう大変だけど、自分よりすごく年上の人が順位を持っていたりする、そういう人たちと一緒に泳がせてもらっていることは恵まれていますね。
Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!
私にとって水泳は、自分を勇気づけるものです。水泳がきっかけで、多くの人と出会えたし、自分でもこんなに人生が変わるとは思っていませんでした。陸は重力があるのでどうしてもスムーズに動けなかったりするけど、水の中だと自由に動けます。もちろん、障がいの状況で、できない人もいると思います。どんな形でもいいから、最初は歩くところから始めてみたらどうでしょうか。体に負担があまりかからないし、自分のペースでできるのでおすすめです。それにお風呂と同じで、水中ではリラックスできる。まずは動ける喜びをぜひ感じてみてください。
実はどんどんタイムがよくなっています。こんな楽しいスポーツはないですね。昔は陸で、今は水の中で、楽しさをかみしめています。
村田 奈々選手NANA MURATA
「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第2~3期対象
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●1983年12月29日生まれ
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●岩手県釜石市出身・在住
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●高校1年生でハンドボール部に所属していたとき、体育館で部活終了の片付け作業中にゴールが右足の上に落下し、機能障害が残る。5年間松葉杖と短下肢装具を付けて生活していたが、左足股関節に水が溜まり、徐々に力が入らなくなったため車椅子生活となった。
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●高校卒業後、偶然、地元の知人『地元のトライアスロン大会のボランティアとして来てほしい』と依頼があり、しばらくトライアスロンのボランティアとして従事。大会を通じて知り合った選手を見て、ダイエットや体力維持に効く点や、身近で経済的にも良い点などをいろいろ悩んだ結果、昔、少しやっていた水泳を開始。2006年から本格的に取り組み、2008年に出産・育児・震災等で競技から遠ざかるも、2014年に競技復帰。
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●2007年にドルフィンズ岩手に所属し、2016年には、イーハトーブSCを設立し移籍。現在は、岩手県スポーツ推進審議会委員にも任命されている(任期2年)。
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●第32回日本身体障がい者水泳選手権大会では、100m自由形:1位(1分23秒09)・大会新記録/50m自由形:2位(37秒53)※いずれもクラスはS21 (2015)
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●IPC公認平成27年度春季静岡水泳記録会兼リオ・デ・ジャネイロパラリンピック派遣選手選考会では、100m自由形:1位(1分22秒15)/50m自由形 1位(35秒35)※いずれもクラスはS21
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●IPC公認2016ジャパンパラ水泳競技大会では、100m自由形:2位(1分19秒68)/50m自由形1位(35秒31)※いずれもクラスはS21
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●第16回全国障害者スポーツ大会岩手大会では、25m自由形:1位(16秒23)・大会新記録/50m自由形:1位(35秒22)・大会新記録※いずれも区分16-1(2016)
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●趣味は、音楽鑑賞・テレビ鑑賞・読書。特技は、トランペット・篠笛・パソコン入力の早打ち・英語の発音が良いこと。