SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#19 「あきらめた瞬間が限界、めげずに練習し続ける」

#19 「あきらめた瞬間が限界、めげずに練習し続ける」

水泳 川島 恵選手

「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第1期対象選手

Q.競技との出会いは?

25歳からだんだん聴力が落ちていき、「特発性両側性感音難聴」と診断されました。プールに通い始めたのは30歳のころ。「風邪に強くなるよ」と、職場の同僚に誘われたのがきっかけです。耳のことでふさぎ込みがちでしたが、子どものころ泳ぐのが好きだったことを思い出し、「やってみよう」と。水中ウォーキングから始め、ある程度泳げるようになってからは、記録にも挑戦したくて大会に出場するようになりました。
 初めて臨んだ地元の大会では、周りの選手は健常者ばかり。同行した市の職員さんが大会委員長に直談判して、聞こえない私への配慮を求めてくれました。試合前の集合場所の点呼に同僚が付き添ってくれたり、スタートの合図は足を触ってもらったりして、無事に泳ぎきることができました。現在も、健常者と一緒の大会にも参加しています。

Q.困難に直面し乗り越えた経験は?

東日本大震災で練習拠点としていたプールが壊れ、練習が数カ月間できませんでした。避難所でボランティアをしながら「自分にはいったい何ができるのか」と考えると、水泳をやめようかとも悩みました。でも、福島県の代表として大会に参加し続けることで、復興をアピールしようと思うようになりました。今まで応援してくれた人たちのためにも、簡単にやめるわけにはいかないなって。今となっては、水泳は自分の生きがいと言えます。

Q.挑戦の中で大切にしていることは?

意識しているのは、「あきらめた瞬間が限界」だということ。震災の年はタイムが伸び悩んでいましたが、それでもめげずに練習を続け、翌年の全国障害者スポーツ大会では25メートルと50メートルの自由形で自己ベストを更新することができました。
 障がい者大会には様々な障がいの選手が出場しています。重いクラスの障がいがある選手もたくさんいます。その姿を見るたび、想像を超えるような努力をされていると感じ、私も負けないくらい頑張ろうと思うのです。

Q.夢、目標は?

東北地方の中で福島県だけ障がい者水泳のチームがないので、いつか作りたいですね。そのために障がい者スポーツ指導員の資格を取ったり、県外の方に会えば、どのようにチームを立ち上げたのか尋ねたりしています。障がいのある選手が単独で練習のスケジュールを立て、大会に出場するのは大変なこと。指導者や補助者がいれば、もっと上を目指せると思います。これまで自分が支えてもらった分、将来は人をサポートしながら一緒に頑張っていきたいです。

Q.読者のみなさんへメッセージをお願いします!

障がい者水泳のルールは健常者とほぼ同じです。ハンディを背負っているという点で、むしろ健常者でも難しいことをやってのけています。何かしら感じてもらえることがあると思うので、ぜひ会場で観戦してほしいです。
 聴覚障がい者のためのオリンピックとして「デフリンピック」も4年に一度開かれます。パラリンピックと同じように注目していただきたいと思います。

a-64_pf.jpg

川島 恵選手MEGUMI KAWASHIMA

「サントリーチャレンジド・アスリート奨励金」第1期対象選手

  • ●1976年12月4日生まれ

  • ●福島県会津若松市在住

  • ●25歳からだんだん聴力が落ちていき、「特発性両側性感音難聴」と診断されるが、30歳のときに職場の同僚に誘われ水泳に通い始める。

  • ●第12回全国障害者スポーツ大会 ぎふ清流大会 障害区分26 25m自由形1位50m自由形2位

  • ●第26回日本身体障害者水泳選手権大会S15クラス50m自由形1位

  • ●第27回日本身体障害者水泳選手権大会S15クラス50m自由形1位

  • ●第29回日本身体障害者水泳選手権大会S15クラス50m自由形2位

  • ●ジャパン・パラリンピック水泳競技S15クラス50m自由形2位(2010・2013)

  • ●第33回日本身体障がい者水泳選手権大会S15クラス50m自由形1位

PASSION FOR CHALLENGE
PASSION FOR CHALLENGE