SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#17 「新しいことに挑戦する。それだけできっと世界は大きく広がる」
ブラインドテニス 織田 信一選手
サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第1期対象
Q.競技との出会いは?
23歳のとき、交通事故で左目の視力を失いました。右目の視力も50歳で発症した脳動脈瘤(りゅう)で視神経が圧迫されたため、0.01まで落ちました。完治することはなく、いつ全盲になるかもわかりません。そんな中、2010年に知人に誘われ、仙台で開かれたブラインドテニスの普及講習会に参加しました。テニスは未経験でしたが、ラケットを握ったら結構打てたんですよ。今考えれば、当たるようにボールを出してくれたんでしょうけど。ボールが当たるのが気持ちよくて、のめり込みました。翌年の1月にはさっそく、宮城県内でブラインドテニスの仲間を集め、「スマッシュ宮城」というチームを立ち上げました。
Q.では、チーム発足の直後に東日本大震災が。
「さあこれから」というときでした。私や仲間の家は沿岸部ではなかったので無事でしたが、県内の体育館がいくつも壊れ、練習場の確保が難しくなりました。チームの活動はやむなく休止に。再開できたのは約1年後でした。久しぶりにラケットを握ったときは、とにかくうれしかった。仲間たちも生き生きとプレーしていました。
Q.挑戦の中で大切にしていることは?
「一期一会」の気持ちです。私がブラインドテニスに出会えたのは、普及活動で仙台に来てくれた人たちのおかげです。感謝しています。私は、この競技を始めるまで、脳動脈瘤の影響でほとんど寝たきりの時期がありました。だけど、体を動かすことで健康になり、気持ち的にも明るくなりました。以前の私を知る人からは「別人のようだ」と言われるほどです。大会に出ると、試合はもちろん、県外のいろんな人たちと会ってお話しできることが楽しいです。
見えないボールをラケットに当てるなんて、難しそうに思えるでしょう。でも、やってみると、案外できるんですよ。ラケットは持ち手が短いですし。不思議なもので、生まれつき全盲の人のほうが上達が早かったりもします。
Q.夢、目標は?
もっとブラインドテニスを普及させたい。私自身は年齢的に、現役はそろそろ厳しい。今後は後進の育成と指導に携わりたいと考えています。ブラインドテニスは、弱視の人は2バウンド以内、全盲の人は3バウンド以内にボールを返すなど、視力によってルールが異なるので、教え方も変わってくるのが難しいですね。
今、私は関東地域協会に所属していますが、東北地方にはまだ協会がありません。東北を中心に普及活動をして、いつか東北地域協会ができればいいですね。さらに将来的には、ブラインドテニスがパラリンピックの種目になって、出場する選手を育て上げることが今の夢です。
Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!
障がいがあると、「自分にはできない」と思いがちです。視覚障がい者の場合、へたに動くと転んだりぶつかったりする危険があることは確かですが、その危険を恐れすぎると、行動範囲が狭まってしまう。思い切ってやってみて、自分にもできることを知ると、そこから活発になれるんです。
健常者でも、ただなんとなく毎日を過ごしている人って多いんじゃないかと思います。でも、私がブラインドテニスに出会って大きく変わったように、たとえばスポーツなど何か新しいことに挑戦するだけで、きっと世界は大きく広がりますよ。
織田 信一選手NOBUKAZU ODA
サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第1期対象
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●1958年12月29日生まれ
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●宮城県仙台市出身・在住
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●23歳のときに交通事故で左目失明。右目の視力も50歳で発症した脳動脈瘤の影響で0.01まで低下。
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●2010年12月に仙台で行われたブラインドテニスの普及講習会に参加し、翌年の1月に仙台でチームを立ち上げ現在に至る。
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●ブラインドテニスいわき大会 準優勝(2016)
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●第27回日本ブラインドテニス大会にてB2男子クラス 準優勝(2017)
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●今後は、ボウリングにも挑戦予定。
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●趣味はカラオケ、食べ歩き