SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#1 「自分の中で限界を決めない」

#1 「自分の中で限界を決めない」

車椅子バスケットボール 藤本 怜央選手

サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第2期対象
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」所属

Q.競技との出会いは?

高校3年生の時、地元・静岡のチームにスカウトされました。でも、見学に行っても全然面白くなくて。それまで義足で普通にバスケットボールができていたので、車椅子に乗る必要はないじゃないかって。でも国体で車椅子バスケの試合を見て、一気に考えが変わりました。
 動きの速さは想像以上で、隙があればどんどんシュートを決めていく。衝撃で鳥肌が立ちました。やりたくないとかたくなに言っていたのに、どうせやるならば全国レベルのチームでと決意を固めました。

Q.困難に直面し乗り越えた経験は?

車椅子に乗ったことがなかったので、最初は全く動けませんでした。右に行きたいのに左に行ってしまい、何もできない状態のまま、早くうまくなりたいという気持ちばかりが空回りしていました。
 小回りが利かない、相手に反応できない、シュートが入らないなど、いろんなところで壁がありました。でも、それが一切ストレスには感じなかった。むしろ、それを越えてやるぞと思えた唯一のスポーツでした。徐々にうまくなっていくことが楽しくて仕方がなかったです。

Q.挑戦のなかで大切なことは?

「自分の中で限界を決めない」こと。成長なくして成功はないと肝に銘じています。僕はいま、国内では誰よりもシュートを決める選手と言われていますが、成功率は100%ではない。それに近づくため技術を洗練させていけば自分も成長する。そうすることでチームは勝ち成功につながっていきます。
 健常者と義足でバスケをしていたときは僕が支えられていました。でも、今のチームでは障がいが比較的軽い僕が支える立場。頼られ期待されていることが、車椅子バスケを極めたいと思う大きな原動力になっています。

Q.夢、目標は?

藤本怜央はどんな人かと聞かれた時、「車椅子バスケのプレーヤー」だと胸を張って言える。僕という人間、人格、すべてを作ってくれたのがこのスポーツだと思っています。メダルを持ち帰ることが恩返しの一つです。でも、この競技を愛するものとして、より認知され発展させていき、その期待に選手たちが応えていくというところに僕の願いがあります。
 競技ができるうちは代表として期待に応えたり、得点王の記録を塗り替えたりしたい。引退しても指導者として日本の車椅子バスケ界の発展のために取り組んでいきたいです。

Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!

想像してみてほしいんです。車椅子に座ったままで何本シュートを決められるかと。僕らはそういう難しいことをあたかも簡単にプレーできる競技レベルがあります。試しに車椅子を体験してから試合を見てもらえれば、間違いなく感動してもらえると思います。
 なぜこの得点が決まったのかをひもといていくと、選手同士が連携し、そこには全く無駄な動きがない。僕もそうでしたが、プレーを見てもらえれば力強さと華やかさで鳥肌が立つことは間違いない。そんな体験をしてもらえるスポーツだと思っています。

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藤本 怜央選手REO FUJIMOTO

サントリーチャレンジド・アスリート奨励金第2期対象
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」所属

  • ●1983年9月22日生まれ

  • ●静岡県出身/宮城県仙台市在住

  • ●小学3年生のときに交通事故で右足膝下を切断。バスケットボールのクラブチームに所属していた父のすすめで、義足でバスケットボールを始め、高校3年生のときに車椅子バスケに転向(持ち点4.5点)し、翌年「宮城MAX」に所属。2014年からは、ドイツのクラブチーム「ハンブルガーSV」にも所属し、世界で戦っている。

  • ●日本選手権では、11大会連続得点王。

  • ●2004アテネ・2008北京・2012ロンドン・2016リオパラリンピック車椅子バスケ男子日本代表

  • ●2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ男子日本代表(主将)

PASSION FOR CHALLENGE
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