SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT
#4 「天職ですねって、よく言われます」
車椅子バスケットボール 岩佐 義明ヘッドコーチ
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」ヘッドコーチ
Q.指導者としての出会いはいつごろですか?
大学でバスケをしていましたが、車椅子バスケは初めて見たのは34年前。
就職して配属先が宮城県障害者総合体育センターという体育館でした。
当時は中学や高校のバスケの外部コーチをやっていて、専門的に車椅子バスケを指導することになりました。
そのころ、宮城MAXの前身のクラブがコーチを探していたので、クラブに入りました。
正式に監督になって指導するようになったのは2001年の宮城国体のころです。
Q.指導者生活の中で困難に直面し、 乗り越えた経験やそこから感じたことはありますか?
ずっと思ってやってきたのは、車椅子バスケが早く福祉的な要素から脱皮して、いちアスリートとして選手たちを見て欲しいということ。もちろん車椅子バスケに出来ないものは当然ある。もう苦労しました。本が書けそうですよ。
皆さん日本選手権8連覇8連覇とよくいいますよね。でも本当に1年1年の積み重ねで、やっと勝っているような試合というのが多いんです。私が指導しているというよりも、選手たちが目標としている大会の準決勝、決勝までもっていく。その辺は素晴らしいものがあります。
Q.日々の指導の中で大切にしていることはありますか?
来年の日本選手権に向けてもう一回基礎からやっていく中で、トランジションバスケ、切り替えの速いバスケを徹底的に追究していきます。
同じことをやっていても勝てません。宮城MAXの戦術は見破られていて苦しいけど、勝ったときは何とも言えませんね。これはちょっと人には譲れないですね。天職ですねって、よく言われますね。
私は家に帰ってもうちの子どもたちもバスケですし、忘れようといっても結局、バスケのテレビを見ちゃいますよ。NBAも見ますが高校バスケも。日々勉強ですよ。
Q.夢とは?実現のために頑張っていることはありますか?
今まではとにかく多くの選手を日本代表にあげてやりたいという夢だったんですが、今は世界で通用する選手を送り出したい。宮城MAXのバスケを世界でどのくらい通用するかということを試してきて欲しい。
2020年に向けては、若手の選手を少しでも日本代表にトライさせたい。そこで日本開催で代表をやっていたらいいですよね。これも夢ですよ。
(日本選手権8連覇中だが)いつまで続くんですかとよく聞かれるんです。前人未到だった5連覇を過ぎて、怖いですよ正直。選手とは心が通じていますので、特にあれこれやらなくてもしっかりやれていると思います。
Q.読者の皆さんへメッセージをお願いします!
車椅子バスケというか障がい者スポーツがメジャーになってきていますが、まだまだ足りないところがある。テレビとかで見るのと全然スピード感が違いますので、ぜひ車椅子バスケを体験して、見て応援して欲しい。取りわけ車椅子バスケがもっとメジャーとなるのが私の夢ですので。
私が生きているうちに国内でプロ(リーグ)が欲しいですね。ドイツでは入場料取って、夜しかゲームしないそうですよ。日本でも、ものすごい勢いでファンがガンガン増えてきている。日本選手権で大勢の人が集まったので、いつかきっと...。
岩佐 義明ヘッドコーチYOSHIAKI IWASA
サントリーオフィシャルパートナーチーム「宮城MAX」ヘッドコーチ
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●1958年1月6日生まれ
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●宮城県山元町出身/宮城県角田市在住
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●大学までバスケットボール選手として活躍し、卒業後、宮城県障害者総合体育館に勤務。障がいはなく、1989年から車椅子バスケチーム「宮城クラブ」(宮城MAXの前身)のヘッドコーチに就任。2001年より「宮城MAX」のヘッドコーチを務め、チームを前人未到の日本選手権8連覇に導く。
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●「2008北京パラリンピック」車椅子バスケ女子日本代表ヘッドコーチ
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●「2012ロンドンパラリンピック」車椅子バスケ男子日本代表ヘッドコーチ