たまに歳時記を開くと、暮しのそこここで季節を見失いつつあることに、痛いほど気づく。そうか、取近の俳句プームも、つまりそういう気持ちの裏返しなのかもしれないな、と思った。季語という約束事があるから、俳句は面白いともいえる。けれど今では死語と化しているのもあったりして、従来の季語だけで、この時代の季節の鮮度を捉えるのは難しいことも確か。そこで、というわけか。新しい独創の季語を題材に句を作っている俳句の会があると聞いた。例えば「カプリオレ」などという新季語がある。「コットン」「万歩計」「髪を切る」。どれも歳時記にはない。が、どことなくこの季節が香る。ピュアモルトなど片手に、一句捻りたくなってくるではないか。
|