「見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思うけむ」。京都郊外・水無瀬川のあたり、山裾がけむっている。春は曙、秋は夕暮れなどと何考えてんの、この霞たな引く春の夕べの美しいことよと詠ったのは、後鳥羽上皇。山は山崎・天王山山系である。詩歌では霞を春の衣に見立ててもきたが、実は気象学の術語に霞はなく、霧か靄とされる。何かが違うのだ。そういえば仙人は霞を食って生命を延ばすという。霧ではいけない。確か酒を醸す際の湯気も靄といい、酒の異名ともなっていた。仙人の靄は飲むものなのかも知れないなどと思いつつピュアモルト山崎をグラスに満たす。立ち昇る香気は故郷の山里で春の衣を十二回重ねてどこまでも高く、やわらかい。
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