WHiSKY on the Web 製品紹介ウイスキーとやきものの出会い響35年 三代 徳田八十吉 作<耀彩瓶 碧陽>

耀彩の誕生

秘密の鍵「帰命盡十方無碍光如来」

三代徳田八十吉氏が独自の「彩釉」を創成し、さらに「耀彩」へと展開していった背景には、九谷焼350年の伝統の継承があり、祖父、父との三代にわたる技術的革新の歩みがある。上絵釉薬の調合は、昔から工人それぞれの秘密とされてきた。初代徳田八十吉も、古九谷に最も近いといわれた釉薬の調合法を家族・門弟にも明かさず、“隠し手帳”に暗号を用いて記していた。正彦時代の三代八十吉氏は、初代が没した昭和31年のある日、仏壇に手を合わせ供養をしていた際、右脇軸に書かれた十字名号「帰命盡十方無碍光如来」を見て驚いた。経文の十文字が“隠し手帳”の暗号文字とどこか似ている。そこで、両者を筆のはね方まで入念に照合して調べていった。数日後、経文の十文字の偏(へん)や旁(つくり)を零から九までの数字の符丁とし、その符丁で調合割合を書きとめていたことが判明した。この暗号解読により初代八十吉が古九谷、吉田屋の研究の過程で開発したビロード釉、碧明釉(緑系)、欽朗釉(黒系)、深厚耀変などの多様な上絵釉薬の処方が解明され、当代八十吉氏のまったく新しい九谷焼の世界が拓かれる契機となったのである。

耀彩の誕生

九谷の色は紫、紺、緑、黄、赤の五種だが、実際には上絵釉薬の調合次第で色は無限に存在する。三代八十吉氏は祖父の調合法を解読して、その調合を少しずつ変えた釉薬を各種作り、黄色から緑、緑から紺、紺から紫の間にどれだけの変化があるか試し焼きしてみた。すると約70もの色が識別可能であることがわかった。そこで色目の諧調にしたがって筆で順番に線を描き並べて高温で焼成してみると、境目が溶け合って美しいグラデーションのもとに幾種もの色が輝いているものが生まれた。このグラデーション模様は九谷の歴史上、初めて姿を現わした美の世界である。この色の焼成温度は焼き物の中でも最高に近い1040度。祖父の時代、ましてもっと前の江戸時代には不可能だった温度であり、これを「耀彩」と名付け、世界を驚かせる作品が次々に生み出されていった。

手間、暇をかけて

三代徳田八十吉氏が「光り輝く彩(いろ)」の意をこめた「耀彩」は、暈(ぼかし)を含むまったく新しい彩釉技法である。一色一色を狭い幅で克明に彩描していくだけに手間・暇がかかる。しかも透明度のある釉薬が溶け合って美しい輝きを創り出すためには、器の面が平滑でなくてはならない。少しの凸凹があっても影ができてしまう。氏が使う素地は九谷で200年来使われてきた地元・花坂の陶石でざらつきがある。そこで素地は焼成された後、再度、入念に研磨される。この研磨は歯科医のドリルにヒントを得た特注品で行う。その後、仕上がりの釉薬の溶け方を想定しながら墨線を入れ、その細い幅の間に面相筆で釉薬を順々に乗せて器面を覆っていく。こうして焼成し、焼きあがった色の具合を見て再度、さらに慎重に釉薬で彩色して焼き上げる。場合によっては、3度、4度と繰り返すこともあるという。

世界にはばたく八十吉ワールド

初代が釉薬の調合に工夫を凝らしたのは青手古九谷の美の魅力故であった。これは文様をまず呉須で線描きし、その輪郭の中に紫、紺、緑、黄などの色絵具を塗りこんで陶面を色で覆っていくものである。その美は大胆な構図に雄勁な筆致、そして渋く深い色合いからなる絵姿の世界にある。いっぽう、三代八十吉氏が創出したのは、色釉そのもの、上絵釉薬の「光り輝く彩」それ自体の美だった。これまでの色絵磁器が具象絵画なら、氏の創造した磁器は抽象絵画である。日本の伝統である色絵磁器の美に新たな地平を拓く革新的な仕事であり、だからこそ三代八十吉氏の作品は世界でも注目を集めているのである。