サーカスやボードビルに出演したり、映画の西部劇で端役をやっていたテキサス・ガイナンは、1922年、26歳のときにニューヨークにやってきた。すぐにブロードウエイのギャングでスピークィージーを手広くやっていたラリー・フェイに見初められ、彼がパトロンとなって秘密クラブをはじめる。 ガイナンは燃えるような金髪が売り物の180センチを超える白い肉体美と、こぼれるような笑顔と愛嬌、さらには人を食ったような客あしらいでたちまちにして秘密クラブの女王にのしあがった。
肩をはだけたイブニング・ドレスを着て、目もくらむような肉体を客に浴びせかけるようにして彼女は舞台に立つと、ビッグ・スマイルで歌うようにこう叫ぶのを常としていた。「Hello Sucker!」。サッカーとは“いいカモ”のことで、田舎からニューヨークに出かけて来た金持ちたちがドッと湧く。
客たちはバター&エッグ・マン。つまりネギをしょってきたカモでしかなかったのだ。「いらっしゃい、とんま野郎」といった意味合いの呼びかけに、客のほうがそれを許してしまう魅力を彼女は十分持ち合わせていた。サッカーたちはこのもてなしに大金を支払った。
ガイナンの片目は常に入り口に注がれていたという。当局の手入れを警戒していたのだが、しばしば逮捕されてもいる。しかしながら彼女にとってそれは何でもないことで、護送車に乗り込むときでさえ大姉御のスター気取りだったらしい。テキサスからやってきたこのビッグ・レディは警察をあしらうコツを心得ていて、たちまちにして釈放となる。
逮捕とともに店は閉鎖されてしまっているが、彼女の魅力がまた新たなスピークィージーを開かせることになるのだった。
1933年4月、まずビールのみが解禁となり、正式に連邦法から禁酒法が撤廃されたのは12月となる。その1ヵ月ほど前の11月5日、赤痢にかかったテキサス・ガイナンは49歳という若さでこの世を去る。彼女は生前にあっけらかんと、「禁酒法がなかったら、わたしはどこにいるのでしょう」と言い放っていた。
ガイナンの生き様に興味を抱いたわたしは1987年にアメリカから彼女の写真を数点取り寄せた。いまその中で最も気に入っているポートレイトの1枚を見つめながらジムビーム ブラックのロックを飲んでいる。このプレミアムバーボンの豊かなアロマと芳醇な味わい、エレガントでなめらかな余韻がビッグ・レディの容貌をよりいきいきと輝かせるようだ。
どんな状況下でも人は遊びを創り、寛ぎ、酒を楽しむことを彼女は教えてくれている。自信たっぷりの微笑み。このテキサスのツッパリ姉さんとグラスを交わしたなら、さぞや愉快に違いなかったことだろう。
(第6回了)