バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ハーヴィ・ガールズ

西部のサルーンの盛衰を見つめる前に、もうひとり忘れてはいけない人物がいた。どうしても触れておかなければならない。

さあ、クラフトバーボンを飲みながらお読みいただきたい。今回の話の友となるボトルは「ノブクリーク シングルバレル」。世界的な権威あるコンペティションで最高賞を受賞しており、その香味はウイスキー業界のプロフェッショナル、とくにブレンダーたちから高い評価を得つづけている。

香味開発者はビーム家7代目フレッド・ノー。彼が9年超熟成樽の中から選び抜いた究極の1樽は濃厚でリッチな甘みの深い余韻が長くつづく。今回はアメリカ外食産業史に強いインパクトを残した男の物語であり、シングルバレルの力強い香味こそがふさわしい。そしてその男もまたフレッドと呼ばれた。


鉄道の発達は、前回エッセイで登場したジョージ・プルマンのような成功者を生んだ。プルマンは豪華列車の開発や洗練された旅客サービスで新しい時代を築いたが、事業を起こすきっかけは寝台車に乗車したときに感じた不満だった。乗り心地の劣悪さに、それならば自分がつくってやろう、となった。

プルマン同様、現状への不満や不信感からフレデリック・ヘンリー・ハーヴィ(1835-1901)も新たな事業を起こす。彼はフレッド・ハーヴィ・カンパニー創業とともに、アメリカ西部の鉄道駅にレストラン・チェーンを展開したのだった。実はこれが現代につづく外食産業のチェーン店運営や管理の基礎となったのである。

ハーヴィは1853年、15歳でイングランドのリヴァプールからアメリカへやってきた。ニューヨークでウェイターの仕事を得て、経営や良質なサービスを学び、そしてニューオーリンズに移った後、1860年にセントルイスでコーヒーショップをはじめる。ところが南北戦争のどさくさの間に共同経営者が金を持って失踪してしまう。そこからは家族を養うためにさまざまな職業に就いたという。

南北戦争が終わり、大陸横断鉄道が開通(1869)したのち鉄道網が拡大していく。それにともない各地の拠点に駅が生まれた。プルマンカーのような豪華な客車はまだ東部が中心で、西部の鉄道会社が投入していくには時間がかかった。しかも、鉄道が発達しつつあるといっても、すべての列車に食堂車があるわけではない。

for Bourbon Whisky Lovers